産業革命 |
アジサイ | の | 谷 | の広場 |
紫電改 | / | うの | 中2 |
産業革命以来、機械は人々の生活を豊かにする打出の小槌の役目を果たすも |
のだと思われてきた。そしてその進歩はイコール人類の幸福につながるとも信 |
じられていたのである。経済の高度成長下にあっては、その目的を達成する一 |
番有力な武器は、工学的な発想と工学技術であった。それを補うための最も有 |
効な方法の一つとしてあげられるのは、生物学的な発想であろう。「二十世紀 |
は機械文明の時代であったが、二十一世紀は生物文明の時代になる」生物学と |
建築学というと、今のところいかにも縁遠い存在のように思われる。だが果た |
してそうだろうか。いま都市空間の例をあげよう。ブラジリアはあらゆる技術 |
を駆使して二十一世紀の夢の都市としてつくられたはずだった。だが実際に出 |
来上がってみると、かんじんの人間がなかなか住みつかない。芸術第一主義で |
は庶民にはとても住めない。庶民は人間であるよりもさきに、まず生物で、生 |
物は本来もっと泥臭いものだということが、いつの間にか忘れられていた。 |
無機質なところにずっといるとだんだんストレスがたまってくる。なにもな |
い真っ白な世界に入るようなものだから疲れも出てくる。そのために副都心な |
どに人が集まると思っても集まるということはない。私は、小学校のころ虫垂 |
炎で病院に入院したが回りはただの白い壁なので暇であると同時に疲れも出て |
きた。なにもないのでとてもたいへんだった。それが都市規模になるといやに |
なる。幼稚園の頃、公園がちかくになくまわりは、道路ばかりであった。港南 |
台に引っ越してきたら公園も多くほっとする感じがした。 |
社会人はこのような時代で、ストレスをどのように解消しているかをみると |
カラオケ、パチンコなどとある。行きたい旅行先をみると自然の多い国が、人 |
気であった。人間は、必ずホッとするような場所がなければ生きていかれない |
と思う |