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人間の住む環境
イチゴの広場
小林ねき中1
 数量的に証明できるものにこそ真理があり、それのみが正しいとする考え方
が、広くいきわたっていったのである。しかし最近になって、それだけがすべ
てではないということが、反省されるようになった。工学的な発想と工学技術
の行き過ぎがいろいろな面で見直されようとしているのだ。冷たい無機質の材
料で囲まれたインテリアよりも、素朴な材料で囲まれた泥臭さの中に、人間の
本質といったもとが潜んでいることに気がついたのだろう。それは理屈ではな
くて、生物的嗅覚とでもいった方が当たっているかもしれない。
 
 私は個人的に、あまりきれい好きではない。故に、清潔すぎるのは、ちょっ
と嫌だ。例えば、本は本棚、筆記用具は机の中、服はたんす………と、全て諸
定位置に置いてあって、床の上にあるものはじゅうたんだけという部屋があっ
たとしよう。そんな所に私がいたら、まず座っているだけで疲れると思う。「
ここではものを散らかすな」とか「座ったら背筋を伸ばせ」とか「不用意にき
ょろきょろするな」などという、無言の説教を受けているような気がするから
である。実際に私も、そういうことがあった。多分皆さんもあるだろう。医者
を待っている時の診察室である。あの静けさ、何の面白味も無い壁、そして何
より、あの道徳の臭い。あの臭いは、けっして「匂い」ではなく「臭い」だ。
これは、さも今から診察をするぞ、といわんばかりの環境である。やはり、人
間の住む環境というのは、完全清潔主義の象徴のような所ではなく、多少汚い
所なのだろう。が、汚すぎても困る。あんまり汚すぎても、ただ動きにくくな
るだけである。
 
 また、日本人は、とにかくきれい好きである。データ、とまで正確にはいか
ないが、だいたいの日本人は清潔主義である。(たぶん68,24%ぐらい……)
そんなことはない、私は断じて清潔主義者ではない、と思う人もいるだろうが
、急にアフリカ民族と一緒に生活しろ、といわれても、出された料理は食えな
いだろうし、家にも「こんな家に住めるかぁ」といって絶対なが続かないだろ
う。それだけ清潔好きなのだ。日本人は清潔主義なのだ。
 
 といっても、まぁ別に清潔好きも悪いとはいわないが、過ぎたるは及ばざる
がごとしともいうし、多少は汚くても良いと思う。いや、良い悪い以前に「き
れいすぎ」ということは、自然界にありえないことである。「大切なのは、健
康な外見ではなく、健康自身である。」という名言がいう通り、清潔にしよう
しようとしても、自分の心を清潔にしない限り、真の清潔は見えてこない。し
かしそれを、「汚くしろ」といっていると勘違いしては、真の清潔が見えても
、自分の周りの環境の良さは、見えないままである。