天才とは |
イチゴ | の | 池 | の広場 |
小林 | / | ねき | 中1 |
「ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるはずが無い」…もっとも |
である。ロバが一人で地球いっしゅうする旅に出ても、馬になって帰ってくる |
わけが無い。何らかの理由があり、それが何らかの志に伴っているのならまだ |
しも、ただ単に地球を一周するだけでは何も変わらない。そりゃあ周りからは |
ちやほやされるだろうけど、中身が変わらなければ、馬になりようことが無い |
。 |
ロバが旅に行けば、確かに外見は変わるだろう。周りからはちやほやされる |
だろうし、テレビにも映るだろう。しかし、決して中身は変わっていない。馬 |
のごとく地を蹴れるだろうか。人間のごとく脳を働かせることができるだろう |
か。鳥のごとく大空高く舞えるだろうか。できないだろう。「自分は何かにな |
りたい」という志があって初めて、その何かになることができる。といっても |
完全になることはやはりできない。それに近づく程度だ。やはり、最初になっ |
ているもの意外の物にはなれないのである。努力すればするほどそれに近いも |
のになれることはなれるが、完全になるということは無理だと私は思う。 |
これは、人間にも通じるところがある。ロバには失礼だが、ロバを「愚かな |
者(鈍才)」、馬を「優れた者(天才)」、旅をすることを「外見を変えるこ |
と」とするとしよう。愚かな者が優れた者になろうとして外見だけを優れた者 |
のようにしても、当然ながら優れた者のようになるはずが無い。それならば、 |
中身を変えるべく努力をしてみる。そうすると、確かに優れた者には近づくが |
、決して優れた者にはならない。愚かな者も優れた者も何らかの理由でそうな |
ったのだろう。ならば、優れた者の方が努力をしたに決まっているし、才能も |
あるだろう。それまでのリスクを努力でうめようとしても、すぐにうめられる |
ものではない。努力とは、そうして積み重なっていくものだからである。そこ |
に持って生まれた才能が積み重なればよけいにそうである。私がいきなり「マ |
イケル・ジョーダンのようになろう」と思って努力をしても、到底追いつかな |
いのと同じである。 |
エジソンは、「天才は99パーセントが汗(努力)で、残りの1パーセントが |
ひらめき(才能)である」といっている。天才が言っているのだから、そうに |
違いない。ならば、努力をすれば、追いつくのではないか、と思うだろう。し |
かし、この1パーセントが普通の人は「1」で、天才が「100」だとすると、天 |
才は99パーセント努力したと言うのだから、「9900」努力したことになる。仮 |
に1が参考書20冊に相当すると考えると、天才指数が「10000」なのだから、 |
そこから1ひいて20をかけると、参考書199980冊分になる。と言うことは、1日 |
に参考書10冊といても、ざっと55年はかかると言うことである。まあ、私が適 |
当に割り当てた数字だから正しいとは思えないし、参考書に加算、と言う時点 |
で間違っているから、これを信じる必要も無いが、一般人が天才を目指すには |
、そのぐらい気合が必要なのである。 |
「大切なのは健康らしい外見ではなく、健康自身である。」と言う名言があ |
る。つまり、外見よりも、中身が大切、と言うことである。しかし、どうして |
も健康になり切れないとしたら、いくら健康にあこがれていても、ただただ無 |
情なだけである。「寒さに抵抗する一番の方法は、寒さに満足することである |
」と言う言葉が示すとうりにすればいいのである |