日本人の「謙譲の美徳」 |
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日本のある会社が香港で現地の人間を採用しようと求人広告を出したという |
。「日本語のできる人を求む。」すると瞬く間に、「我こそは日本語が達者で |
ある」と胸を張ってたくさんの香港人が押しかけた。だが、実際にはほとんど |
の人が、「コンニーチハ、サヨナーラ」といった挨拶程度しか日本語を話す事 |
が出来なかったそうである。 |
もし日本人が、「あなたは英語を話せますか」と問われたら、たいがいの人 |
は、「少しだけ」と答えるであろう。恥ずかしいという理由もあるだろうが、 |
もし「話せます」と答えた場合、その責任を自分が取らされたうえ、理解でき |
なかったらどうしようという不安が、一瞬、脳裏かすめるからである。 |
日本人は、よく「これ、すごくいいものですよ」などとは言わず「つまらな |
いものですが」という。ケーキなどをわたすときに「つまらないものですが」 |
と言うと、子供から見れば「あのケーキはつまらないものなのか」と思うだろ |
う。逆に、言い方としては余り良くないけれど「このケーキとってもおいしい |
んでどうぞ」と言えば、もらった相手も「ああ、良いものをもらったんだな」 |
と、思うかもしれない。そう言うところを見ると、アメリカ人はかなりはっき |
りしていると思う。 |
かくして人は、自分の立場を確保するために他人を型にはめたがり、その作 |
られた型からはみ出て「打たれる杭」にならないよう、自分自身は「謙譲の美 |
徳」を利用する。 |
名言に「強くなければ寛大ではありえない」とあるように、自分もしっかり |
出来ていれば他人のこともみとめられる。など、認め合う事も大切だと思う。 |
私は、「謙譲の美徳」を利用するのも日本人の良いところだと思うけど、一歩 |
踏み出して「これはできる、これはできない」とはっきりしてみるのも良いと |
思う。 |