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横国の問題 その1
アジサイの広場
たきあし高3
 出題者側としてはできるだけ多様なものの見方をしようとするも、子供たち
は逆にその形式に対して固定的な解答しかできなくなっている。ここでは二つ
の立場のすれ違いが見られる。
 
 出題者としては今までの絶対的な点数による振り分けに見切りをつけ、もっ
と個性、想像力をもとにしたその人の人間性を見たかった。しかし子供たちは
、自分の人間性を偽ってみせてでも試験に通りたいだけなのだ。
 
 双方のすれ違いを少なくするには、面接試験を重視するべきだと思う。本当
にその人の人間性をみたいのなら、<自由作文>という間接的な手段よりも直
接、できるだけ長い時間話し合うことが重要だ。悪い言い方をすればその方が
子供たちにも「ぼろ」が出て、裸に近い姿を見られることだろう。実際に私が
友達の人柄を判断する時も、その人の作文を読むよりも実際にしばらく話をし
て、直感的にその人を感じる方がわかりやすい。
 
 確かに文面としてその人を試験するのは後々に正確な点数をつけやすいし、
何より考えていることが率直に分かる。さらに無数にある個性を受け入れるに
は数多くの学校がさまざまな視点でその人を見なければならない。しかし本来
の試験の目的、よりその学校を有効に活用できる者、を選び出すには、たとえ
困難だろうとそのようにするのが良いだろう。