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ひとこと
ラレルは
イチゴの広場
ドリカムうせ中2
 ラレルは、「受け身」「尊敬」「自発」「可能」の4つの仕事を受け持つよく働く勤勉な助動詞である。
 よって、ラレルは使い分けが複雑で面倒である。同時にもう一つ日本語で複雑で面倒な物がある。
それは敬語である。複雑で、面倒な事意外にも使い方を誤ると人間関係が壊れてしまう事もある。口
は希代の怠け者何かとすぐに手抜きをしたがる、したがって、ら抜き言葉は、「可能」において頻繁に
使われる。ラレルよりレルの方が発音しやすく簡潔である。ら抜き言葉は、永く批判の的になりながら
も、しかし、次第に多く使われるようになってきた。
 私のペンケ-スの中には、20本のカラ-ペンと、シャ-ペンと定規で成り立っている。小学一年の時
の、私のペンケ-スと比べると、とても近代的である。小学一年のペンケ-スの中身ときたら、鉛筆
五本に、赤鉛筆一本で成り立っていた。そして、いつも使えるようにと、色鉛筆がいつも近くにあっ
た。やはりノ-トを見ても、シンプルな一年のノ-トとカラフルな今のノ-トと全く反対である。
 私は、一年の時の私が信じられない。「よく、鉛筆でノ-トに書けた」と思う。私は、筆圧が濃い
ので鉛筆で書くと、すぐ手が真っ黒になってしまったり、すぐ芯が、丸まって字が太くなってしまう
。それに比べてシャ-ペンはあまり手が汚れなく、何といってもいくら書いても芯が丸くなったりし
ないのだ。
 しかし、小学校五年の時である。シャ-ペンを学校に持っていくべきかで話し合った。シャ-ペン
本体には問題はないが、シャ-ペンの芯に問題があるのだ。うっかり落としてしまった細い芯は、見
つけにくく、机の脚に引きずられてしまうと床が汚くなってしまう。鉛筆ならば、芯が大きいので見
つけやすいので鉛筆にしようという問題に、一時間以上話し合ってシャ-ペンを持っていってもよい
が、条件を守らなければ、即募集そして、鉛筆を使うと決まった。
 いくら人間にとって使いやすくなっても、環境を汚してしまうならば、少し不便になってもよいと
思ってしまう。さっき、シャ-ペンを持っていっていい代わりに結んだ条件とは「床が汚れていたなら
ば、自分が汚してなくても見つけた人がすぐに消す」である。その時から、みんなちゃんとするよう
になった。
 面倒くさがりな人間が、レル言葉を生み出したが、レル言葉にも欠点があると思う。新しい物ばかり
に手を出しすぎて、昔からある物を捨てるより、ずっと消えもせず生き残っている古い大切な物と新
しい技術があるものとを、両方一緒に使える事が大切なのではないか。昔話の、姥捨て山のように。