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本当の父親って一体?
アジサイの広場
AE86えや中2
 父が父でなくなっている。父が父の役割を果たしていない。父としての役割
は、立派な父でないと果たすことはできない。父でなくなった父の典型が「友
達のような父親」である。
 
 いじめっ子の出来方は、わがままな犬の出来方によく似ている。飼い主の言
うことを聞かないわがまま犬は、飼い主が自由放任でルールを教えなかったた
めに生まれるのである。
 
 「友達のような父親」は、実は父親ではない。「もの分かりのいい父親」は
父の役割を果たすことのできなくなった父と言うべきである。
 
 今の子供たちにとって理想の父親とは何だろう。自分にとっての理想の父親
とは『日曜日などの休みの日は自分の趣味にとことん付き合ってくれる父親』
である。しかし、それでは父の都合もあり駄目なこともある。
 
 確かに、要約の方では「友達のような父親は実は父親ではない」と書いてあ
るが、僕はそうとは思わない。むしろ、あまりギクシャクした親子より、少し
友達のように接している方が、毎日の生活が楽しいような気がする。しかし、
あまり行き過ぎると駄目な場合もある。
 
 だから僕は今も父親とそのように接している。
 
 僕は昔から車が好きだった為、そのことを父によく聞いた。その時、父は自
分の聞く質問にどんどん答えていく。僕はこのような時に父のことを改めて尊
敬し直すのである。
 
 なんか最近は、厳しい父親が少ないような気がする。自分の父もあまり厳し
くはない。それとは逆にとても厳しい父親が出ている漫画がある。それは、『
巨人の星』である。(小田先生の話では)
 
 しかし、考え方を一転させると、立派父親がいないのは、子供にも原因があ
るのかもしれない。