人を、創る。 |
アジサイ | の | 谷 | の広場 |
ペー吉 | / | うき | 中2 |
父の役割が消えかけている。立派な父がいなければ、家族を統合することも |
、善悪の感覚を教えることもできない。しかし、現代社会では、必要とされて |
いるにもかかわらず、立派な父が育ちにくい。立派を堅苦しく感じ、ありのま |
まを好む風潮の影響であろう。しかし、友達のような父親は、真に子供のため |
にはならない。父子で上下の関係があり、権威を持って、生活規則や社会規範 |
を教えることのできる父親こそ理想の父親だ。 |
私と私の父は、上下関係がはっきりしている。父の話すことに拒否は許され |
ず、父がそうだといえばそれは絶対の決定となる。これはかなり鬱陶しく感じ |
られるが、時たま役に立つこともある。例えば、父は『道で知り合いに会った |
なら挨拶をしろ』『玄関では靴をそろえてぬげ』といった、当たり前のことを |
私の幼少時から厳しく教育してきた。様々な人間と接触してきて分かったこと |
だが、この「当たり前のこと」ができない人間が非常に多い。人と人とが接す |
る上での最低限の常識、それを守れるか守れないかでは大きな違いがある。父 |
親が権威のもとに私を教育してきたからこそ、私はそのような人間と一緒にな |
らずにすんだのだ。 |
「ヘンデルとグレーテル」という昔話がある。この物語は、人間的に邪悪な |
継母が父親を丸め込み、生活費を浮かすために二人の子供を森へ捨てるという |
話だ。これは、継母の強気な性格のもとに起こった過ちかもしれないが、父親 |
の家族内での立場が継母よりも弱かった、というのがもっとも大きな原因だろ |
う。父親は家族内でのリーダーシップをとるものとして、家族内で最高の権威 |
をもっていなければならない。重要な決定には父親の承諾があり、善悪をきち |
んと判断し、家族を正しい方向へ導かねばならない。そのような父親であれば |
、二人の子供は森に捨てられることはなく、しっかりした家庭が築かれていた |
だろう。 |
父親が家族内で最も強い立場をとるというのは男女差別という意見もあるか |
もしれない。男性が主権を握り、女性は日陰に隠れていたという昔の世界を思 |
い出させる。しかし、女性というのは、子供を産み育てるという種としての性 |
質上、どうしても視野が狭く、思考の展開がやや偏った方向へいってしまうそ |
うだ。家族内に限らず、リーダーシップをとるならば女性よりも男性の方が向 |
いているだろう。男女差別ではなく、単純に向き不向きなのだ。 |
威厳を持った父親が家族の主導権をとり、まとめていく。子供に善悪を教え |
、理念を掲げ、文化を伝える。やって良いことと悪いことの区別を教え、人間 |
として生きていく上での礼儀を教える。子供を大人に育てるのではなく、子供 |
の中の「人間」を育てるのだ。立派で厳格な人間こそが理想であり、そんな人 |
を創ることのできる、愛情と威厳に溢れた父も理想である。人を創る。それが |
、父親の義務であり、愛であると思う。 |