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真の父
アジサイの広場
さやかあおべ中3
 最近は家族を統合し、理念を掲げ、文化を伝え、社会のルールを教えるとい
う父の役割が消えかけている父でなくなった父の典型が「友達のような父親」
となる。その父親は子供の自主性を重んじて強制をせず、なにをするにも自由
放任である。すると簡単に子供に精神力がなくなり不登校になったりわがまま
になり「いじめ」に走ったりする。本当の父親とは自分が真に価値のあると思
った文化を教え込むのが最も大切な役割である。
 
 確かに昔のオヤジはちゃぶ台をひっくり返すような恐いお父さんだったとう
わさにきく。なんといっても恐いものは、地震、かみなり、火事、オヤジなど
というほどだ。しかし、いま、地震、雷、火事、オヤジなんていっても、なん
で恐いの?と思う。わたしは恐い父はやだともちろん思う。しかし、社会全体
でみた時に、自分の子供ならず、他人の子供、これから未来をしょって立つ若
者をしかるこわいオヤジという人は本当にいないなあと思う。そういうオヤジ
という人が少なくなったので若者は平気で道にたむろったり、未成年なのにタ
バコをすったりするのだろう。(もちろんそういう人ばかりではありません。
)目の前で制服を着ている未成年がタバコを吸っていてもふつうの大人は知ら
ん顔である。
 
 昔話のなかで金太郎の話がある。金太郎は力持ちでもあったが、町のみんな
の人の為に丸太を倒してあげる。これはこの話の影のスター金太郎父が彼を立
派な人に育てたからであろう。
 
 確かにやさしい父は恐くないしわたしにとってはいいと思う。しかし、自分
勝手な人が多い今の社会にはちゃぶ台をひっくり返すようなオヤジが必要だと
思う。「やさしさが、性格の弱さであってはならない。」と言う言葉があるよ
うに自分の価値を大切にし、子供に教え込む父親が本当の父、オヤジといえる
のかもしれない。