鳩や烏の害 |
アジサイ | の | 峰 | の広場 |
T.O | / | いう | 高2 |
鳩は、えさをばら撒いてそれを摘まんでいる姿だけを見ている分には、微笑 |
ましくもあり可愛らしくもある。しかし、その鳩が近所あるいは自分の家の庭 |
に入りこんで住みつきでもしたら、そこらじゅうに糞をまきちらされるなどし |
て不快感を覚え、鳩と人間との対立が始まってしまう。このように、私たちは |
自分と相手の間に一定の距離を保つことによってその相手とうまく付き合って |
ゆくことができるのであり、離れすぎると全く疎遠になってしまうし、近づき |
すぎると相手のいやな部分が見えてくる上に相手に利害関係を求めるようにな |
り、それにそぐわなくなるとだんだんと嫌いになってくる。その微妙な「間」 |
が問題なのである。 |
動物に限らず、自分と対象との間に一定の距離を置くにはどのようにしたら |
良いか。それには、まず自分自身をよく知っておくことである。自分がどのよ |
うな性格で、どのような時に反発したくなるかなどといった事柄を十分に理解 |
しておき、相手とつきあうときに相手が自分の許容範囲を超えるほど近寄らな |
いようにさせるのである。自分が相手に譲っていてばかりでは、本当によい関 |
係は生じない。 |
「舌切りスズメ」では、スズメが糊を食べてしまったがためにそれを見た意 |
地の悪いお婆さんに舌を切られてしまったという話であるが、動物が人間の生 |
活に踏み入りすぎた結果おこった利害関係の対立の典型的な例であるといえる |
。しかし、だからといって対象と全く疎遠になってしまうような距離でいてし |
まっては、いつまでたっても相互理解などありえない。そうならないためにも |
、常に適度な距離を置けるように心がけることが大切なのである。 |
対象との適度な距離といわれても、あまりはっきりとはイメージがわいてこ |
ない。ましてや先進国では、安全を意識しすぎるあまり保守的になってしまい |
、人々はどちらかというと限られた人と深くつきあうより、多くの人と表面上 |
仲良くつきあう、「浅く広い」つきあいの方を好む。たしかにそちらの方が、 |
自分のプライバシーがそれほど侵されるようなことはなく、対立も比較的少な |
くすむ。しかし、それでは相手についてほんの一面しか知らないことになり、 |
本当に互いを認め合う関係を築き上げるには至らない。また、そういった少し |
踏み込んだ関係を求める際にも、相手の譲れない部分というものを認めること |
を忘れてはならない。この微妙な「間」を意識することこそ、人が人間や自然 |
と共存してゆくために大切なことであり、同時に難関なものである。 |
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