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ひとこと(8月4週)
私たちは旅(感想)
アジサイの広場
石井つと
 普段の生活、感覚で暮らしていると感じることのないもの、情熱的にわき上
がる知的好奇心。未知と偶然を含んだ旅をすると、誰しもこのようなものを感
じると著者は述べている。旅という舞台設定では、控えめで弱々しい普段の感
情が解放され、情熱的で積極的な感情が働くのである。こうした感情が文化や
学問の原動力であり、知を拓くとしている。
 
  なるほど、平凡な日常を送るのには、好奇心や情熱というものはたいがい
必要はない。会社に通勤し、働いて、家路につく。変化のない生活に、多少の
刺激は赤提灯でマンネリの話題で酔っぱらうことであったりする。忙しい会社
員の生活で、休みをまとめてとれると、多くの人は旅をする。未知と偶然の少
ないツアー旅行ですら、マンネリの生活には刺激的なのである。しかし、現実
には時間とお金に余裕のある独身者や、いわゆるOLたち以外は、小さな旅行
すら実現できないでいる。多くの会社員は日常の惰性に埋もれてしまい、感情
、情熱を抑制して生きている。
 
  新しきものに感動し、知的好奇心をわき上がらせるための手段として、旅
をするというのは、あくまでも一つの契機である。日常生活に埋没しないため
に、情熱的な好奇心をもつために、旅と同様の舞台は色々あると思う。旅とは
要するに異空間への移動であるのだから、なにもわざわざ遠くへ行くことも、
危険な冒険をすることもない。身近な所にも異空間は存在する。
 
  「犬も歩けば棒に当たる」のたとえにもあるように、行けるところを何と
なく、その気になってさまよってみれば、それなりの出会いも発見もあるであ
ろう。普段行かない街を散策し、積極的に人に出会うもよし。趣味や、地域活
動の人の輪に入ってみればそれもまた未知と偶然の舞台であり得る。読書です
ら、大いなる旅のようでもある。歩き方は色々ある。生きているということは
、旅そのものであるとも言えるのだから、動かずに留まっていたらなにも始ま
らないのである。今いるところから一歩踏み出してみることが、旅の始まりで
ある。