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鶏口のよさと牛後のよさ
アジサイの広場
乱月あし高3
 私の周りの友達で多いのが、高3のこの時期になっても将来何になるか決ま
っておらず、「とりあえず大学に入ってから…」と曖昧な答えを出す人だ。彼ら
はその「とりあえず」で勉強を続けているが、私はそれがとても無駄なものに思
えて仕方がない。しかし今日では彼らの考え方が主流になりつつあり、いい大
学、いい会社に入って金を儲ける、それだけが夢になっているようである。し
かし「長いものにまかれろ」的なこの考え方では、いつまでも飛躍的な進歩は望
めない。
 
 教育ママの理想もこの考え方そのものだ。いい小学校、いい中学、と絶えず
「いい」所に入る事を目的としていて、子供の自主性は全く気にしない。最終的
に社会的地位だけを求めた肩書きを手に入れる事になるが、自分のやりたい事
はそこでできようはずがない。そんなに試験がうまく解けるのならもっと他の
能力もあるはずなのに、その能力が表に出る事はままならなくなってしまうの
だ。私もいわゆる「いい」高校にいるが、試験をうまくといた能力を使って早い
うちから将来を決めた。30人からなる構成員を持つ一国一城の主になるため
に。
 
 両親はあくまで子供の自主性を第一に考えるべきだ。将来的な事ばかり考え
てレールを敷くのではなく、あくまで一般道路や有料道路を作るまでにとどめ
るのが、真の親の愛情と言えるだろう。そうすれば子供は自分の道を切り開く
事が可能になるし、果ては自分の本当にやりたい事で生活していけるようにな
るかもしれない。キノピオもただ人形として働く事に疑問を感じなかったら、
人間にはなれなかった。難しい数式を解くよりも、まず自分の夢を考える方が
大切だ。
 
 確かに遠回りになるかもしれない。大樹の陰ではいつも良い環境だし、逆に
大樹とはなれたところでは多くの苦労を伴うだろう。しかし離れた場所ならの
びのびと枝を伸ばせるだろうに、大樹の陰では光も遮られて自分自身さえも自
由にはならない。私自身は独立した一つの小さな苗木でありたいと思っている
 
 私の友達にも、早急に将来なりたいものの決断を迫ろうと思う。