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なにごとぞ
アジサイの広場
小山くさ中1
 日本では、言葉ではなく、物理的対象物をともに見ることで、社交が成り立
つのだ。月見、花見雪見といった集団的な観賞行為は、実は、日本文化の中で
のコミュニケーションの方法でもある。月、雪、花は人と人を結びつける解媒
なのである。
 
 私は、いつも友達と2人で帰ってくるが話題がすぐなくなる、ということがよ
くある。こういう時はしゃべることが社交の基本となっている西洋人のように
気まずい思いをしている。しかし、ある日、2人とも道はないと思っていた所を
人が通っていた、という光景を目にした。その後その事に関して話しているう
ちに話題が出てきた。ないと思っていた道を見ることだけで、意思は十分通じ
、心の中の会話は進行していたんだなと思った。「見る」ということの重要さが
よく分かった。
 
 漫画「ドラエモン」である話の最後の方で、のび太としずかという女が夕日
を見つめているという場面がある。ここでは、何も口に出していないが、意思
は通じあっているんだなと思った。「見る」ということが日本文化の中でのコミ
ュニケーションの方法だということがよく分かった。
 
 確かに、話すという方法が無くてはコミュニケーションも取れないだろう。
しかし、話すだけではいずれ話題が無くなって、白々しい思いをするに違いな
い。「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」という
言葉があるように、見るというコミュニケーション方法の重要さを知るという
ことが大切である。