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どこかへ旅行が
アジサイの広場
T.Oいう高2
 旅行をする時、普通は事前にガイドブックなどを読んだりして目的地の大ま
かな情報を頭の中に入れておき、それから現地に着いた後ガイド通りの名所巡
りをする。この方法はいわゆるオーソドックスな方法とされており、名所と言
われる場所を見逃すことはほとんどないが、用意された感じがして味気ない。
この方法のほかにも最初から行き先を決めておき、そのあと自分の足で気が向
くままに歩きまわるという方法もあり、この方法は先ほどの方法に比べ苦労す
る点が多々あるが、本に書かれていない自分だけの旅のコースや名所を見つけ
出すことができる。
 
 私が小さい頃はやったゲームなどでも、クリアより裏技を出すことに全力を
注いだものだが、自分が何気なく打ち込んだコマンドで思いがけもしない画面
が出てきた時の喜びは何にもかえられないほどだった。こういう事は自分の力
だけで生み出したことに意味があり、それによって自分独自の世界が広がって
ゆくのだと思う。
 
 「長篠の合戦」で、織田信長が当時伝来してまだ全国に広まっていなかった
鉄砲をそろえ、鉄砲隊を作り、正攻法しか知らなかった武田軍の度肝を抜いた
ことは有名である。このように戦国武将でも、ただ普通に戦って天下をとった
と言う人物はほとんどいなく、皆虎の巻にも載っていない自分だけの戦法で歴
史に名を残したのだ。
 
 確かに、案内書に従っているだけでは何も新しいものが創造できない。だか
らといって何の根拠もなく歩き回るのは良い方法とは言い難い。「五十歩百歩
」というように、例えば旅の途中で動物に襲われた時、普通すぎる方法で五十
歩逃げても裏をかきすぎて逆に目的が分からなくなってしまう方法で百歩逃げ
ても結局は追いつかれてしまう、つまり何にもならないのだ。人間は、自分の
気の赴くままに行動するのが良いと思うのだが、ある程度先を見通した上で行
うのが正しいと思う。