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私はこの数年間テレビ
アジサイの広場
乱月あし高3
 言論の自由を謳歌している今日の日本ではあるが、逆に少数意見の抹殺や世
論操作に近い誘導があるように思える。そこで、マスコミはまず世の中の出来
事を現実として客観的に伝えなければならない。第一に、少なくとも自分の意
見と客観的な事実を区別しなければならない。そして第二に、誰が正しいかよ
りも何が正しいかを明確にし、第三に商業主義的なドラマチックな演出を加え
るのを止めることだ。その三点をマスコミに注意してもらいたい。
 
 先日の朝日新聞に載った読者からの投稿の中に、「サンデーモーニング」の
極端な巨人ひいきと、それを白々しく曖昧にしてしまうキャスター達への批判
の文章があった。私もたまたまその番組を見ていたのだが、中日ドラゴンズの
星野監督にインタビューに行った時、「いえ、私たちはもう、中日一本で」な
どと白々しいことを言っていて、私も同様の気持ちを覚えた。確かに何らかの
形で巨人に興味を持っている人が多いとはいえ、ただの主観放送になってしま
っては、もはやそれはジャーナルではなく、ただのコマーシャルになってしま
う。今後このままでは日本人の感覚が特定の団体の思うがままになってしまう
だろう。
 
 いたってコマーシャル同士の競争が激化している今日である。ジャーナルの
業界だけは公正を保っていて欲しい。セガのコマーシャルでも、堂々とライバ
ル商品の名前を出してしまっていたりする。そこまではまだ良いとしても、話
題になったそのコマーシャルに個人的意見を付け加えて放送させる番組は、も
はや討論会でしかない。「ニュースステーション」という番組もあるが、見て
いてどこがニュースだと思う。
 
 キャスターは原稿を正しく読み上げるマシーンでしかない。そうあるべきな
のだ。今後はまずそのキャスターを客観的な人間にしていくべきだろう。原稿
も読めないようなタレントがキャスターとして出演している番組もあるが、そ
のような番組をなくすことが第一歩だといえる。客観的で、感情を持たないの
は既にロボットしかいない。ロボットに限りなく近い人間がニュースを読むも
のだ。
 
 確かに、多少主観的な内容が入っても視聴者はその意見について物を考える
ことができて良いと思う。しかし今日のようにそのことがあふれてしまうよう
では何にもならない。朱に交われば赤くなるというが、日本全国赤くなってし
まうような放送は続けてはならない。
 
 ドラマチックな演出は以前やらせとして問題にされたが、今後残り二つの問
題点も解決されるだろう。