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先進国の後を
アジサイの広場
遠藤せて高2
 日本は、今までアメリカの作った道つまり、先進的知識を詰め込む事を第一
として教育してきた。日本はまさに先進国の宿命、すなわち自らの行く先を自
らの創意工夫で切り開かなければならないという宿命を、好むと好まざるとに
かかわらず背負うことになったのである。外来の知識を学ぶだけでは必ずしも
独創的な知識は生まれない。日本の学校教育は「素晴らしい」という説があるが
、それは少なくとも今日的観点からはとんでもない誤解である。私たちの勉強
は、ともかく与えられた課題を先生が決めたスピードでこなしていくことが「
優秀な」生徒の絶対的条件である。これでは、枠にはまった、つまりみんな同
じ答えしか出せない受動的人間になってしまう。学校教育には潜在的能力の高
い優秀な生徒の頭を押さえつけるといった「平等主義的な教育思想」にそれなり
の価値があることは認められなければならないが、それが独創的な人材の芽を
摘み取っている危険についても十分な配慮が必要だ。
 
 よく外国人は「日本は勉強も仕事も休まない」と言う。実際、日本人は勉強
も仕事も休むことなくせわしなく続けている様に見える。これらは、アメリカ
経済に追いつくためのものだったのだろうか?私達が勉強してきた生物、化学
、数学などに出てくる発明者、発見者のほとんどが欧米人である。このことか
らも日本人はアメリカ経済などの他国の後を一生懸命追いかけていたような気
がする。
 
 ライト兄弟は、飛行機を発明するためにあの手、この手を使って怪我などし
たりと大変だったけれどやっと自分たちの力で独自の飛行機を作ることが出来
た。彼らは自分達で新たな道を開発したのだ。
 
 確かに、先進的知識を詰め込むことは大切なことだ。しかし、アメリカのよ
うな自分の力で物事を決める決断力、そして研究に研究を積み重ねた新しい成
功への道を切り開いていくことが今後、私達の課題であり「みんなと同じことを
一生懸命やれば満足」ということではなく、他人とどれだけ違ったものを身に
つける事が大切だ。「朱に交われば赤くなる」ということわざのように、周辺
の人間と同じ事をしているのではなく赤くならずにちょっと違ったことを見つ
け出し独自の発想を広げていくべきだ。