ガーデンシクラメン
●動画:https://youtu.be/2thsjN0y9aI
都会の小学生は、現在、私立中学受験がピークになっています。
学校によっては、クラスの生徒の半数以上が中学受験をします。
小学高学年の子供は、周囲の子供たちに影響されるので、友達が受験勉強をするなら自分も負けたくないと思います。
それは、普通の感覚です。
それで、誰もが中学受験の塾に行くのです。
塾は、子供たちを合格させることが目的ですから、ひたすら詰め込みます。
競争や点数で煽りながら、合格という狭い目標に向かって知識や答え方を詰め込むのです。
勉強は、できる子にとってはそれなりに面白いものですが、そこで詰め込んだ勉強は、将来生きてきません。
中学受験のためだけの限られた勉強だからです。
私立中学の第一志望に受かった子と、それに落ちて第二志望校に行った子と、受験に落ちて公立中学に行った子が、結局同じ大学に行ったというのはよくある話です。
小6までの勉強と、中学生時代の勉強と、高校時代の勉強は、密度が違うので、高校生になってがんばった子が最も力がつくからです。
今の行き過ぎの中学受験は、やがて、問題が生じるときが来ます。
すでに、勉強の詰め込み過ぎや競争のさせすぎによる弊害が起きていますが、それがまだあまり表面に出ていないだけだけす。
中高一貫校の教育が、中学と高校を分けた教育よりも優れていたのであれば、公立中高一貫校をもっとたくさん作ればいいのですが、それは、たぶん私立中学の利権とぶつかるのでできないのだと思います。
一方、大学入試は、一般入試から総合選抜入試に移行しつつあります。
成績で1点差を争うような試験から、学力は8割程度でいいので、あとは思考力と創造性と意欲が大事だという試験に変わりつつあるのです。
更に重要なことは、大学入試がゴールであった時代は終わり、これからは社会に出て自分らしく生きる時代、あるいは、独立起業を目指す時代になりつつあることです。
独立起業というと、まだ多くの人にとって実感がわかないと思いますが、世の中は急速に変わっています。
「飯の食える大人になる」という言葉を、昔、高濱正伸さんが言っていましたが、今後はベーシックインカムで誰もが飯が食える時代になります。
飯を食うために嫌いな仕事を我慢して続ける時代は終わり、自分の好きなことをして生きる時代になるのです。
そのひとつの例が、よく挙げますが「さかなクン」の生き方です。
好きなことを追求しているうちに、それが自分の仕事になったのです。
世の中はそんなに甘いものではないという考えの人もいると思いますが、今ある仕事の中でも、すでに社会的な意味はないのに給料だけは支払われているというものは数多くあります。
例えば、昔は、「仕事がなくなったら、新聞配達をやろうか」とか、「ちり紙交換とやろうか」とか、「タクシーの運転手をやろうか」という考えが成り立っていましたが、今はその仕事自体がなくなりつつあります。
もっと大きい例では、銀行の仕事や新聞・テレビ・出版の仕事も明らかに衰退しています。
近い将来、AI技術の発達によって英語業界の仕事でも、人間のすることは少なくなります。
公務員の仕事も、IT技術によってかなり簡素化されるようになります。
だから、今ある社会を前提にするのではなく、どういう社会になっても生きていけるたくましい学力を育てることが大事なのです。
ところで、都会では、従来の教育サービスが幅広く残っています。
歩いて行ける範囲のところに、いろいろな習い事の教室があります。
学習塾もあるし、英会話教室もあるし、スイミングクラブもあるし、プログラミングスクールもあるし、多種多様な教育サービスがあります。
それは、それでいいことです。
その反対に、田舎では、歩いていけるような範囲に、そのような多様な教育サービスがありません。
中には、塾に行くのに1時間もかかるところがあります。
地域によっては学校に通うのも、バスに乗って行かなければならないところもあるでしょう。
そういう地方でも、人間のレベルはみんな同じですから、教育熱心な家庭は都会と同じ比率で存在しています。
そういう田舎の子供たちの学習意欲の受け皿になるものが、通信教育やオンライン教育です。
しかし、紙ベースの通信教育は、今後消滅の方向に向かいます。
インターネットで、ビジュアルなサービスが無料で見られる時代に、有料の紙の通信教育は時代遅れだからです。
また、今あるオンライン教育は、リアル教育のコピーがほとんどです。
リアルな通学教育で行われている授業風景をただ動画にしただけのようなオンライン教育を見ても、楽しく勉強できる子はいません。
だから、本当のオンライン教育は、都会で行われているリアルな教育と同じように、参加する子供たちが対話をしたり交流したりするようなコミュニティ機能があるオンライン教育です。
そのためには、オンラインクラスの生徒数が5人以内に限定されていなければなりません。
10人以上のオンラインクラスでは、結局先生による一方的な講義が中心になり、参加する生徒は受け身の形で参加するようになるからです。
今のほとんどのオンライン教育は、10人どころか人数の制限が特にない大量生産型の教育になっています。
したがって、言葉の森のオンライン少人数クラスの教育が効果を発揮するのは、多様なサービスに取り囲まれている都会よりも、むしろそういう雑音のない田舎の方です。
そして、田舎で広がったオンライン教育は、やがて都会にも広がります。
オンライン教育は国境がないので、日本以外のほかの国にも広がります。
また、今、増えている不登校の生徒は、結局、現在の学校システムの犠牲者です。
そういう行き場所のない子供たちも、リアルなサポート校を探すよりも、オンラインの教育で勉強面はカバーしていけばいいのです。
言葉の森は、国語、算数数学、英語の授業もしているので、勉強面は心配いりません。
また、言葉の森のオンラインクラスは、子供たちの交流があるので、勉強すること自体がコミュニティ活動になります。
都会と田舎の教育を比較すると、都会は多様な教育サービスがあり便利なように見えますが、インターネット時代には、そういう比較は意味がなくなります。
言葉の森は、作文、基礎学力、総合学力、国語、算数数学、英語、創造発表、プログラミングと、現在と未来の教育全体をカバーする指導をしています。
作文教育は40年以上の実績があり、どこのリアルの教室よりも優れた指導をしているので、小学生から始めて高校生まで続ける子もいます。
だから、言葉の森のオンライン教育をひとつの学校のように考えて参加していくことが、これからも子供たちの教育のひとつの方向になります。
このように考えると、便利に見える都会よりも、不便に見える田舎の方で、実は新しいオンライン教育が最初に開花するのだということがわかります。
実際に、私(中根)が教えているオンラインクラスの生徒の中で、勉強面も優秀で、創造発表的な学習に関しても個性的な発表ができる子は、なぜか都会よりも田舎に多い感じがしています。
ちなみに、中根の父と母の実家は岐阜と名古屋ですが、私自身が生まれ育ったところは、横須賀、横浜です。
横浜の人は、東京に対して微妙な劣等感と反発を持っているようで、1980年代、横浜モアーズがリニューアルオープンしたときのキャッチコピーは、「東京、カッペね。大阪、イモね。」でした。
これが、大きな看板になっていたので、思わず笑ってしまいました。
ITテクノロジーとAIテクノロジーに時代には、こういうキャッチコピーがさまざまなところで生まれます。
オンラインを生かして、最先端の教育を田舎から作っていきましょう。