言葉の森では、作文の勉強をfacebookを活用することによって更に発展させていきたいと考えています。
作文というものは、他の教科に比べると、教えることがかなり難しい勉強と言えます。だから、作文の勉強でfacebookを活用できるようになれば、それはそのままほかの教科にも生かしていくことができます。
以下、言葉の森が考えるfacebookの活用の仕方を7点にわたって説明していきます。
◆1、クラウド化した教材の利用
インターネットの世界では、クラウド化が急速に進んでいます。ネットを通じて、あらゆるサーバーが自由に活用できる時代になっているのです。
従来は、自社サーバーを立ち上げて、そこにいろいろなコンテンツを入れ、プログラムを作り、データベースを管理し、場合によっては決済システムも導入していました。
そして、自社のウェブのコンテンツを、検索エンジンで見つけてもらうことがインターネットの利用法の中心になっていました。
しかし、クラウド時代は、そういう使い方ではなくなります。自社サーバーのかわりに、ブログやyoutubeやfacebookのサーバーを利用してコンテンツを管理します。プログラムも自社で作るかわりに、フリーのアプリケーションを利用します。決済なども、他社の決済サービスを利用していきます。
そして、肝心のコンテンツも、かなりの部分は、自社制作する必要はなく、インターネットにあるものを利用するという形になります。例えば、青空文庫などという図書のテキストサービスがあればそれを国語の教材として利用するという形です。
クラウド時代は、自社のウェブのコンテンツという垣根は意味のないものになります。だれもがシームレスにインターネット上にあるものを利用できる時代ですから、コンテンツの中身よりも、利用の仕方の方が重要になってきます。
言葉の森は、これまで、自社サーバーで、コンテンツやプログラムを管理していましたが、いまそれをブログやyoutubeやfacebookに移行しているところです。
◆2、教材のオープンソース化
インターネットにある教材を利用することから一歩進めて、自分たちの手で教材を作るのがオープンソース化です。
言葉の森では、暗唱長文や読解マラソン集の長文を講師の協力で自社制作していますが、こういう教材を作るのはある意味で楽しいものです。
Wikipediaは、世界中にいる無償のボランティアの手で作られました。それと同じように、今後は、教材もだれでも自由に参加できる形で作られるようになるでしょう。
社会全体から見れば、個々の学校や塾が自分たちだけで使う教材を作っているのは、大きな無駄です。ほかの人の作った教材を利用するかわりに、自分たちで作った教材もほかの人に利用してもらうという形が今後の教材利用の仕方になると思います。
オープンソースで作る教材ですから、利用者自身が細かい手直しをいくらでも付け加えることができます。
教育は、すべての人の共有財産としてだれでも利用できるものにしていくのが将来の方向です。
言葉の森のfacebookでも、今後「オープン長文」グループなどで、子供たちが読む長文のオープンソース化を進めていく予定です。
◆3、勉強の基盤としての家庭学習の共有
これまでの勉強は、知識中心の入試に対応して、やはり知識の習得が中心になっていました。
子供たちに能率よく知識を注入するためには、分業体制で、学校や塾にお任せする形の方が都合のよい面がありましたが、それは同時に、考えることの苦手な子供たちを育ててきたようです。
中学受験でいったん塾にお任せする形の勉強にすると、その受験が終わったあとも、親が教育の内容にコミットすることが難しくなります。すると、中学生になっても、高校生になっても塾に頼るという形になり、親は、子供の勉強の中身はよくわからないが、結果としての成績だけはわかるという状態になります。
本当は、親が勉強の内容も把握していて、子供と勉強の中身を話し合いながら、勉強が単なる知識ではなく、深い理解も伴ったものにしていく必要があります。
例えば、国語の勉強でも、問題の長文を読んで選択式の○×をつけてそれでおしまいにするのではなく、その長文を読んで親子で内容を語り合うという形にしていくのが理想です。
テストの成績に表れないこのような深い学習は、家庭でなければできません。
これからの時代は、知識よりも思考力や創造性が重視されるようになってきます。勉強の基盤を家庭に取り戻すことが、思考力と創造性のある勉強の重要な前提になってくるのです。
facebookは、子供と親と先生の三者がつながる形の勉強ができます。先生に任せる勉強ではなく、先生と親が協力して子供の教育にあたるという形をとれるのが、ソーシャル・メディアの強みです。
言葉の森でも、家庭での予習や自習の仕方をfacebookのグループで保護者と共有していく予定です。
◆4、家庭文化のシェアと継承
家庭での親子の時間が長くなるにつれて、勉強ばかりでなく、親子のつながりも深まってきます。家庭は、勉強も含めて子供の人間形成の土台となる場です。
ところが、日本の社会では、太平洋戦争の敗戦によって、多くの家庭で、文化の軸となるものが失われていきました。
日本には、まだいろいろな行事が残っているので、その行事を通して、例えば年末に大掃除をしたり、正月に書き初めをしたりというようなことができます。
しかし、現代は、今の親が子供だった時代に比べて、家庭での対処方法が決まっていないさまざまな文化が家庭に押し寄せています。例えば、インターネット、ケータイ、テレビ、ゲームなどです。
ゲームひとつをとっても、親が子供時代に経験していない遊びなので、子供のゲーム遊びをコントロールすることができず、単なる禁止か単なる放任かになってしまう家庭が多いのです。
ここで、家庭の文化を共有するというfacebookの利用の仕方が考えられます。例えば、お小遣いの金額、勉強時間の目安、躾やマナーの基準、テレビやゲームの時間制限など、同じ条件の親どうしが情報を交換すれば、次第に家庭ごとの文化の枠組みが決まってきます。
そして、いったん家庭における文化的な基準ができれば、それは、子供や孫へと引き継がれて発展していきます。
学校や塾という外部の機関に子育てや教育を任せるのではなく、家庭でその中核となる部分を担えるようになれば、社会全体の文化水準ももっと高くなっていくでしょう。
言葉の森では、この家庭文化のシェアも、facebookなどのソーシャル・メディアを利用して行っていきたいと思っています。
◆5、勉強の成果を生かす発表と交流
知識中心の勉強の場合、成果はテストという形で評価されます。しかし、個性や創造性が求められる作文の勉強や芸術、スポーツの分野に関しては、テストという形での評価は向きません。
これまでは、作文、芸術、スポーツの評価は、コンクールのような機会で行われていました。しかし、コンクールは、結局ごくひとにぎりの子供が評価されるだけで、大多数の子にとっては、単なる参加する以上のものにはなっていませんでした。
毎年、夏休みになると、さまざまな作文コンクールや感想文コンクールが催されますが、このコンクールが教育的な意義を持つとは多くの人が思っていません。しかし、ほかに選択肢がないので、これらのコンクールに参加しているのです。
ところが、facebookを利用すると、例えば、同じ年代の少人数のグループの中で、作品の発表会ができます。何度もやっていれば、次第に親しい間柄になり、お互いの作文を関心を持って鑑賞できるようになります。
創造的な学習で子供たちの意欲のもとになるものは、点数や賞状ではありません。自分の作品が、ほかの人に関心を持って見られていることです。
この作品発表会も、ただ文字だけの文章を発表するだけでなく、youtubeなどを利用して、動画と音声を生かした朗読などという工夫した形がいくらでも考えられます。
言葉の森では、今後、子供たちの作文発表を、この同学年の少人数のグループでやっていく予定を立てています。
◆6、教室でのつながりを発展させるソーシャル・インフラ
facebookで作文の発表や交流を重ねていると、リアルな学校での人間関係と同じように、ネットの中でも次第に深いつながりができてきます。
言葉の森では、小1から高3までの生徒が勉強していますが、受験などのために途中でいったん退会したり、また再開したりということがあります。また、高3を超えて大学生や社会人になって勉強をする人もいますが、課題が全部終われば卒業です。
ここで、せっかくつながりのあった子供どうしや子供と先生が、同窓会としてそのつながりを継続できるようになれば、勉強の中でできた人間関係を卒業後も発展させていくことができます。
facebookは、もともとアメリカの大学で同窓会のリストを作るような使われ方もされてきました。言葉の森では、これを教室で勉強した生徒の同窓会という形で使っていくことを考えています。
同じようなことは、どの学校でも塾でもできると思います。しかし、その前提になるのは、ネット上でリアルな人間関係があることです。通信教育などで、教える先生と生徒が互いの顔を知らないという関係では、卒業後も継続するつながりを持つことはできません。
言葉の森の通信教育は、毎週担当の先生が生徒の自宅に直接電話する形で指導しているので、この点ではインターネット上のリアルな関係をそのまま、卒業後も継続させていくことができます。(実際に、卒業後もつながりを持っている生徒と先生がかなりいるようです。)
◆7、地域でのリアルな教育と結びつくネット教育
ネット上で子供たちの教育の大部分がカバーできるとしても、人間は身体を持った存在ですから、やはり同じ場所と時間を共有する必要が出てきます。
その共通の場所となるのは、地域です。子供たちが自分の住んでいる地域で人間関係を結んでいくことが教育の基本的な形です。
将来、それは、地域の寺子屋教育のような形で行われていくと思います。しかし、寺子屋は、これまでの学校や塾のように、家庭が外部に委託するような機関ではありません。地域でみんなから慕われているような人が先生役をして、それぞれの家庭の教育の延長を地域で行っていくような形になるでしょう。
すると、そういうリアルな教育を支えるものは、地域の大人や子供の緊密なコミュニケーションになります。つまり、facebookなどで勉強の状態を頻繁に共有するような関係がバックにあって、初めて地域での寺子屋教育が有効に機能するという形になってくるのです。
このような状態になるためには、facebook人口も、地域の寺子屋も、ともに大きく広がっている必要があります。しかし、たぶん将来は、このような、ネットに支えられた地域のリアルな教育が主流になってくると思います。
言葉の森も、今後、作文教室をその方向で発展させていきたいと思っています。