前回に引き続き、教育は、人間の幸福、向上、創造、貢献と結びついているという話です。
第四は、貢献のための教育です。何のために学ぶのかということについて、社会全体が明確な指針を持っていることが必要です。これは単なる言葉のうえだけでの話ではなく、実際の教育のさまざまな場面で具体的な方針決定に役立ちます。この小さな決定の積み重ねが、やがて大きな方向の違いになっていきます。
勉強は、社会に貢献するために行うものです。なぜ人間が、「社会のため」ということを考えるかというと、その原点には、人間の持つ共感と想像があります。人間は生まれつき、他の生命、他の人間、そして自分の属する社会に対して共感する性質を持っています。その共感する性質を更に強化するのが、他の生命や人間に対する想像です。この共感と想像を高めていくことが教育の一つの柱になります。
今の社会の風潮の一部に、自分の利益を最優先するという考え方があります。なぜ勉強をするのかということについても、理屈の上で最も説得力のある答え方は、「自分のためにする」というものです。日本人は本当は内心、自分のためだけでいいとは思っていません。しかし、言葉で説明するときは、エゴイズムを建前にした方がだれからも反論されないという雰囲気が今の社会にはあるのです。
このエゴイズムをもとに理論を立てるというのは、欧米の文化の影響から来たものです。みんなが自分の利益のために行動し、その競争の中で最適な社会が生まれるという理屈は、欧米の文化の中で生まれた理論です。欧米は、社会の隅々までエゴイズムがシステム化されているので、その理論が現実の中でうまく成り立っています。しかし、日本はそうではありません。日本の社会は、エゴイズムの文化が根づいていないのです。
日本の社会の本来の姿は、「エゴイズム+競争」とは正反対のものです。それは、個人がお互いに相手のためによかれと思ってすることが巡り巡って自分にも返ってくるという文化です。「エゴイズム+競争」ではなく、「思いやり+調和」が日本の文化に最も合った理論なのです。そして、この理論は、日本から発信する将来の世界のモデルになるものです。
これからの教育は、この「思いやり+調和」の文化を支えるものになる必要があります。それが内容的には共感と想像を育てる教育で、形式的には貢献の教育と呼ばれるものになるのです。
日本の文化の中になぜ共感と想像が根強く生きているかというと、その原因のひとつに、親子で密着する文化があります。人間の共感力は、幼児期の親子の密着をもとにして形成されます。日本の寝室は、親子が「子、母、父」という形で寄り添いながら寝る形が最も一般的です。「母、子、父」という形ではなく、「子、母、父」というふうに父が一歩離れているところが父子関係における子供の自立心に役立っているようです。欧米の場合は、「父、母」が生活の中心であり、子供は幼児期から自立を強制されますが、日本ではそういう家庭はほとんどありません。
子供時代から、親子の密着する文化の中で育つことによって、日本の子供は自然に親に対する孝行の感覚を育てます。この親孝行の文化を、封建主義の名残のようにとらえるのではなく、日本文化の優れた特質と考えることが大切です。なぜなら親孝行の延長に、社会に対する貢献と、先祖にたいする尊敬が生まれるからです。これを古臭い理論だと思わずに、これからの世界の指針になる最新の理論だと考えることがこれから必要になってくるのです。
よく、日本人は個人では弱いが集団では強いと言われます。これまでの教育では、それを日本人の弱点のように考え、日本人を個人で強くする方法を工夫してきました。しかし、これからは集団で強いという日本人の長所を生かしていく時代です。そして、やがて世界中がその日本モデルを採用するようになるのです。
集団の強さを生かして社会に貢献するというのは、決して消極的な生き方ではありません。むしろ、それは日本人にとって積極的な生き方になります。なぜなら、日本人にとって個人のエゴイズムで生きるということは、自分だけ安全な場所で高収入を確保するような生き方につながりやすいからです。
日本の文化の中では、エゴイズムを貫こうとすれば生き方が後ろ向きになります。逆に、集団のために社会に貢献する生き方を選ぶとき、日本人は自己犠牲をいとわずに大きな仕事を成し遂げることができます。みんなが、自分の利益よりも社会のために行動することによって、社会全体がよりよくなるというのが、日本の文化を生かした社会のあり方です。
この未来の日本社会を支える意識的な努力が、貢献のための教育なのです。
連休中武蔵五日市の友達を訪ねたら、四日にとてもきれいな虹が出たそうです。こちらの写真のように二重の虹だったと目を細めていました。たまに自然の中に身を置くと人間の小ささを実感します。やはりみんな助け合って生きていかなくちゃと思いました。