5月10日のfacebook記事に、次のようなことを書きました。「作文も、日記も、小論文も同じです」。
このことについての説明です。
以前、中学生でよく書けている生徒が、初めて行った塾で作文を書き、その塾の先生から、「これでは、小論文ではなく作文だ」と言われてショックを受けたという話を聞きました。
こういうことを言う先生がときどきいるのです。
言っていることは、大体推測できます。つまり、実例が豊富に書かれているので、「実例中心の文章=作文」と見なされてしまったのです。
では、その塾の先生の言っている小論文とは何かというと、「説明と意見中心に書かれている文章=小論文」ということなのです。
文章には、構成と題材と表現と主題があります。そのほかに、正しい表記の仕方というのもありますが、これは誰でも同じようにできるようになるので、個性の違いは、構成、題材、表現、主題の違いとして表れます。
人に見せる文章で、ひとまとまりの構成があって、自分らしい題材(実例)が使われていて、表現の工夫があり、ひとつの主題でまとめてあれば、それがいい文章です。そこに、作文、日記、小論文の区別などする必要はありません。
日記であっても、その日の出来事を時間どおりに書くという構成があり、その中に自分らしい事実が書かれていて、気持ちよく読めるような表現が工夫されており、その日に感じたことをわかりやすく伝えたいという主題があれば、それはいい文章なのです。「これじゃあ、日記でしょ」「はい、そうです」。それでいいのです。
文章力を育てていれば、作文でも、日記でも、小論文でも同じように上手に書けます。
大事なのは、文章を書くことを通して、構成、題材、表現、主題を深め広げる力をつけることです。
子供が一生懸命書いていれば、それをたくさん褒めて、その文章力を伸ばしていくことが大事なのです。
「5月10日のfacebook記事より」
http://www.facebook.com/kotobanomori
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人間には、もっといろいろなことを学んで成長したいという気持ちがあります。
植物に水をやるように、その気持ちを育てていけばいいのです。
そのためには、その子のやっていることを認めて褒めてあげることです。
今、地表に出ている葉や花がどうであろうと、根をしっかり張ってさえいれば、やがて時期が来て大きく成長しはじめるのです。
作文の勉強を見ていると、そういうことをよく思います。
子供がお母さんに作文を見せたとき、
「わあ、よく書けたね。すごいね。ここがいいね」
などと、手ばなしで喜んであげれば、子供は親に毎回作文を見せるようになります。
そして、どんどん上手になっていきます。
褒めるだけでは物足りなかったら、親の似た話を楽しくしてあげればいいのです。
「お母さんも、小学校のとき似た話があったよ。それはね……」
という感じです。
ところが、こういう接し方とは反対に、こんなふうに言ってしまうお母さんやお父さんも多いのです。
「書けた? 見せてごらん。うーん、まあいいんだけど……」
このあと、
「この字が違っている」「ひらがなが多い」「字がきたない」「この文がおかしい」「つながりが変」
などと、次々とアドバイスをしてしまうのです。
塾の先生も同じです。
子供が作文を見せたとき、
「これじゃあ、作文じゃなくて日記でしょ」とか、「これは、作文であって小論文ではないよ」とか、意味不明のことを言ってアドバイスする先生が結構多いのです。
作文も、日記も、小論文も同じです(笑)。
人間は引っ張られて成長するのではなく、毎日の水やりによって自然に成長していくのです。
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