facebookの記事に、仕事をし始めた若い人たちに対するメッセージのようなものを書きました。
今の蓄積が役に立つと書いたとき、それは、勉強にも通じるということを思い出しました。
私が仕事をしているとき、結構役に立ったのが、高校時代の数学や理科の教科書でした。
高校時代にやったことがあるので、どのへんに何が書いてあったか大体分かるのです。
教科書を捨てていなくてよかった、と思ったものでした。
何に使ったかというと、確率の計算の仕方、円や楕円や放物線のグラフを書くための式、漸近線の求め方、数字どうしの相関などです。
いろいろと計算をしているときに、学生時代に習った因数分解のようなものは、テストに使うためだけの面白いクイズで、実際にはほとんど役に立たないようだということもわかりました。では、何が役に立つかというと、解の公式(根の公式)のように、どんな場合でも確実に計算できるものでした。(しかし、ゆとり教育の時期の中学生は、学校でこの解の公式を習わなかったようです)
また、昔は、Σのように同じ計算を何度も繰り返すということが実感としてよくわかりませんでしたが、プログラムで実際に繰り返し計算をしてみると、役に立つ場面があることがよくわかりました。
いずれも、知っている人には初歩的なことだと思いますが、社会人になってからこういうことを新しく本を読んで勉強するということはかなり難しいはずです。高校の教科書の土台があったから、あまり苦労せずにできたのだと思います。
実は、中学時代の教科書も、捨てずにとっておく方がいいのです。
それが役に立つのは、就職試験などのために一般教養の勉強をし直すときです。
それぐらい、教科書は、必要な知識がコンパクトに整理されています。
だから、日本の高校の教科書を全部マスターしたら、立派な知識人としてどこでも通用すると言われているのです。
もちろん、教科書には、その時代に制約された偏向もありますから、社会に出てからも読書などで勉強を続けていく必要はあります。
しかし、その勉強の土台になっているのは、学校時代の教科書なのです。
facebook記事より。
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言葉の森の通学教室で、昔、私が教えていた生徒たちの中で、コンピュータのプログラミングの方面に進んだ人がかなりいます。
それは、言葉の森が、いつもインターネットの新しい技術を取り入れて、面白いことをいろいろしてきたからです。
しかし、システム・エンジニアの仕事は、実はかなり大変です。
私も、何時間もバグと格闘する不毛な時間を過ごし、「これが、人に頼まれた仕事だったら絶対にやらないだろうなあ」と思ったものです。
そして、実際のシステム関係の仕事は、もうあまり創造的なことはなく、メンテナンスに追われるような仕事ばかりになっていると思います。
しかし、プログラミングのような技術を身につけていることは、決して無駄ではありません。
それが役に立つのは、いざ自分が何か新しい仕事を始めようというときです。
新しいことを始めるときは、お金も、時間も、知識も、協力者もすべて不足しています。
そのときに、自分のプログラミングの技術が役に立つのです。
若い人たちの携わる仕事は、つまらないものが多いと思います。
やりがいのある仕事で、自分も成長できて、給料もよくて、休暇も多くてという仕事に就いている人は、私の身近に知っているかぎり一人もいません。
でも、その無駄に見えるような時間で何かを学んでいるのだと思って、決して腐らずにやっていくことです。
未来は、もっと自由に自分のしたいことができる社会になるでしょう。
そのときに、今の準備が生きてくるのです。
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