戦後の日本の社会は、個人がばらばらになる方向で発展してきました。
それまでの大家族から核家族へと家族の単位が小さくなり、地域のつながりが希薄になり、家庭を中心とする個人主義が進行しました。
家の作りも、個人個人が自分の個室を持つような方向に進んでいきました。
また、家庭の中でも、父も母も働きに出て、子供はどこかに預けるという個人化が進みました。
個人単位になることが社会の進歩であるかのように考えられていたのです。
これは、国の福祉政策にも表れていました。
昔の日本では、子供が親の面倒を見るということが普通でした。
しかし、今は、子供は子供の生活、親は親の生活をそれぞれ送り、親の面倒は国が見るということが福祉の進んだ社会であるかのように思われています。
子供が直接親の面倒を見るのではなく、子供の総体が年金という形で国を介して親の面倒を見るという形になっているのです。
しかし、このような大きい政府を志向した福祉のあり方は、もう限界に来ています。
いずれ、国が福祉の中心的な役割を果たすような社会は見直しが迫られ、福祉は、家族や地域のようなその人の人間関係の中で行われるようになってくるでしょう。
これからの変化の激しい社会の中で、老人が貯蓄や投資を頼りに生きていくことはできません。
頼りになるのは、変化に対応できる若い人が、自分の身近にいることです。そのときに、最も信頼できるのは、やはり自分の育てた子供です。
このように考えると、子育ての方針も変わってきます。
これまでの社会では、いい学校に入り、いい会社に入るか、又はいい職業につくことがゴールのように思われ、そのために受験勉強に勝つことが子育ての中心のように思われていました。
しかし、今後の社会の変化を考えると、今いい会社や大きい会社は、将来の衰退企業になる可能性も高いのです。同じように、今いいと思われている安定した高収入の職業も、将来の衰退職業になる可能性が高いのです。
では、今悪いところ、今小さい会社、今低収入の不安定な職業がよいかというと、そんなことはもちろんありません。
大事なことは、今がゴールなのではなく、未来のどのような変化にも対応できるようなたくましい仕事力をつけておくことです。
仕事力は、学校の成績だけでは測れません。また、学校の成績のように固定したものでもありません。それは、その子のさまざまな挑戦の中で次第に成長していくものです。
子供に、たくましい仕事力をつけるためには、親自身も日々の生活の中で新しいものに挑戦する姿勢を持っていることが大事です。
未来の社会は、個人が、あるいは家族が、それぞれ独自の仕事を持って暮らすような社会になるでしょう。
学校の勉強は、勉強だけで価値があるのではなく、その人の仕事力の一部として価値があるのだと考えるようになってくるのです。