天外伺朗さんの「『教えないから人が育つ』横田英毅のリーダー学」を読んでいて、ふと、中室牧子さんの「学力の経済学」という本のことを思い出しました。
天外さんは、本名土井利忠さん。元ソニーの常務で、これまでにCD、ワークステーションNEWS、ロボット犬AIBOなどを開発した人です。
天外さんは、「教えないから人が育つ」の中で、全面的な受容の大切さを述べています。
一方、「学力の経済学」は、データの裏づけによって、何が学力にとってプラスになるのか、あるいはマイナスになるのかを分析した本です。
この本を見ると、例えば、ある程度のご褒美は子供のやる気を引き出し、学力を高めることに結びつくというようなことが書かれています。
この2冊を並べて考えると、教育の距離とか、人間の成長の距離とかいうものが、両者で大きく違っていることがわかります。
昔、和田秀樹さんと森毅さんの教育観の比較を考えたことがあります。
和田さんは、「数学は、わからなかったらすぐに答えを見て、その解答を理解すること」と述べていました。
この方法で勉強すると、誰でも数学が得意になります。大学入試までのレベルの数学は、考える勉強ではなく理解する勉強だからです。
一方、森さんは、それとは反対に、「数学は、答えを見ずに、まず自分で考えること」と述べていました。
森さんと同じ数学者の岡潔さんは、朝起きてから夜寝るまで一つの問題だけを何ヶ月も考え続けていたそうです。
これは、受験の数学ではなく、学問の数学です。
この両者の説は、どちらも正しいのであって、違いは、数学というものの距離をどこまでと考えているかによって表れてくるのです。
同じことは、教育一般についてもあてはまります。
よく教育の逆説ということが言われます。よい環境とよい育て方で、よい子が育つというのは、多くの場合妥当性がありますが、時には、よい環境とよい育て方で、それに反発して悪い子が育つという例もあります。
逆に、悪い環境と悪い育てられ方をバネにして、よい子が育つという例もあるのです。
天外さんの言う全面的な受容というのもそうです。
世の中で活躍している人や、学問で業績を上げている人の中には、親から勉強しろなどと言われたことはないという人が意外と多いのです。
そのかわり、全面的な受容の中で、自分の好きなように成長し、はたから見れば遊びすぎだと思われるような子供時代や学生時代を送ってきたという例が多いのです。
褒めて育てるということは、この全面的な受容というところから考える必要があります。
褒めることを、「褒めてコントロールする」という短い距離の方法として考えると、それは受容とは正反対のものになります。
褒めるというのは、やる気を出させるために褒めるのではなく、自然によいところに目が向いてしまうという、褒める人自身の生き方としての褒めることなのです。
このように生き方として相手を褒めることができる人は、自分自身も受容しています。その受容の根源は、たぶんその人の親から受け継いだものです。
社会に出てから自分なりの人生を楽しく送れる人は、受容性の高い人です。
そこで、教育の距離というものが出てきます。
数ヶ月先のテストでいい点を取るために、ほめたり、叱ったり、うまくコントロールしたりするというのは、短い距離の話です。
そういう距離感も、もちろん少しは必要です。
しかし、もっと大事なのは、その子が将来社会に出たときに、社会の中で自分らしく自信を持って楽しく生きていける人間になってほしいという長い距離感の子育てです。
その長い距離感のもとになるものが、曖昧な概念のようにも見える全面的な受容なのです。