小学生が、作文にことわざを引用すると、その部分がひとつの光る表現になります。
平板な事実の中に、感想の深みが出てくるのです。
しかし、ことわざというものは、意識して出てくるものではありません。その文章の文脈の中で自然のひらめきとして思いつくものなのです。
だから、子供に、「こういう(事実の)ときに、どんなことわざを使えばいいか」と聞かれても、すぐには答えは出てきません。
ことわざの引用を意識的にすることは、大人でも難しいのです。
同じく難しいのが、ダジャレの引用です。しかし、この話は置いといて(笑)。
ところで、ことわざの引用が文章を効果的にするのは、小学生までの間です。
中学生や高校生、更に大人が文章にことわざを引用すると、その部分だけかえってありきたりの表現になってしまいます。
せっかく個性的な事実を書いておきながら、それをありあわせの言葉でしめくくってしまうというのがことわざの直接的な引用です。
大人の場合は、ことわざはそのまま引用するのではなく、加工して引用するといいのです。
ことわざの引用と同じように陳腐な表現になりやすいのが、流行語の引用です。
少し前までよく使われる表現に、「背中を押される」というのがありました。自分の迷いを振り切って行動するように促されるというような意味です。
イメージ力のある言葉ほど鮮度が落ちるのも早いので、何度か使われているうちに、かえって古臭い表現のようになってきました。
文章は、伝える中身が大事ですから、表現は平凡でいいのですが、その流行語を使いたいときもあります。
そのときに使うのが、流行語の加工です。
例えば、「背中を押される」の代わりに、「お尻を押される」とか「お腹を引っ張られる」とかいう表現を使うのです。(かなり変ですが)
しかし、この流行語の加工は、その流行語が既に共有されている人の間でしか通用しません。
日本語は、同質の文化環境の中で育ってきた言葉なので、こういう共有の範囲がほかの言語よりもかなり広くなっています。
例えば、誰かが閉まっているドアを開けようとしたときに、中にいる人が、「山」と言えば、自然に、「川」という言葉が出てきます。「え、山がどうしたの」などと言う人はあまりいません。
この共有度の高さを生かしたものが、言葉の加工なのです。
ことわざの加工は、高校生の小論文でも使えます。
もちろん、それ以前に中身の文章がしっかり書いてあることが重要ですが、小論文を書き終えて時間の余裕のあるときは、文章の結びの5行の表現を工夫していくといいのです。
その工夫の方法が、ことわざの加工や、流行語の加工や、自作名言や、書き出しのキーワードに戻ることなどなのです。