これからやってくると言われている経済危機に、個人がそれぞれ個別に対応していたのでは、無駄が多すぎます。
日本人の特性は、助け合いの精神を持っていることですから、それぞれの地域での協力によって対処していく必要があります。
しかし、持っている人と持っていない人が、必要な物を共有するというのは、まだすぐには難しいところがあります。
持っている人がどれだけ物を供出し、それをそれぞれの人がどれだけ利用したかという、集計システムを作っておけば共有はできなくはありませんが、それだけの準備をするのがまた大変です。
だから、ないものを分け合うような助け合いではなく、新しいものを作り出しみんながプラスになるような助け合いをやっていく必要があります。
最初に困るのは、都会では日々の食料です。
田舎では、その地域で食料が生産されていますが、都会では食料は流通によって支えられています。
だから、流通が止まれば、又は、流通を媒介するお金がなければ、都会では食料が手に入らなくなります。
流通に頼らない食料供給というのは、地域で食料を生産することです。
具体的には、すべての公園をサツマイモ畑にすることです。
なぜサツマイモかというと、サツマイモはそれだけで人間に必要な栄養素のほとんど含まれている完全食品で、しかもどこでも栽培できるものだからです。
空き地も植えこみも駐車場も、土地として利用できるところはすべてサツマイモ畑にすれば、その地域の食料のほとんどは賄うことができます。
サツマイモが収穫されるまでの半年ぐらいの期間は、それぞれの家庭で備蓄しているもので耐えていけます。
食料さえ確保できれば、あとは余裕ができるので、みんなで知恵を出し合ってよりよい生活作りの工夫をしていけます。
昔の人は、飢饉に備えて、村落の周辺に食べられる草や、実のなる木を植えていました。
同じように、これからは公園に、もっとカキやクリなどの樹木を植えていく必要があります。
また、公園にニワトリやウズラを放し飼いにしておけば、いつでも新鮮な卵を手に入れることができます。
最近、食事の量を、1日3食ではなく2食や1食にする人が増えてきました。
そういう人たちが異口同音に言うのは、食事の量を少なくした方が健康によいということです。
少食の価値を日本で最初に明らかにしたのは、江戸時代の水野南北です。
食事のような生活習慣は、よほどのことがない限り変えられないので、食料不足はかえってよい機会になります。
少なくとも、多少食料が少なくなっても、人間は生きていけるのだという気持ちを持てば、相互の助け合いにも余裕が出てきます。
(つづく)