作文は、書いたものが作品としてのひとつのまとまりを持っています。個性を伸ばすことや学力をつけることは、その過程が重要なので、結果は必ずしも作品という形にはなりません。それに対して、作文は、書く過程も考えを深める過程としてもちろん重要ですが、それ以上にその書いた結果が作品として形のあるものが残るということも重要なのです。
結果が作品として残るということは、その結果を互いに発表し合い共有し合うことができるということです。この発表を、文章の上だけでなくビジュアルな形で発表するようにしたものが、プレゼン作文発表会です。
このプレゼン作文発表会も、オンエア特別講座の読書感想クラブと同じように、発表する生徒がその作文に関連する絵や写真や音楽や動画などを用意してyoutubeにアップロードしておきます。それを少人数のグループで互いに発表し合い、質問や感想を交わし合います。
これまで学校などで行われてきた作文の発表の機会というものは、ほとんどの場合、最も優れたものが選ばれ発表されるだけで、その他大勢のものは、ほかの人に見てもらう機会がありませんでした。
しかし、すべての人が主人公として活躍するこれからの社会では、全員が互いの作文を見ることができるようになる必要があります。そのためには、少人数のグループでの作文の共有が行われる必要があります。それが、少人数のネットを使ったプレゼン作文発表会なのです。
プレゼン作文発表会は、小中学生の段階では、読む力・書く力・経験・知識などの集大成というそれ自体が勉強のひとつという位置づけになります。
しかし、高校生、大学生になると、勉強の集大成以上の意味を持つようになります。それは、例えば、高校生や大学生が書く作文は、その社会(地域社会から国際社会まで含むさまざまなレベルの社会)に対する提言にもなるからです。
すると、プレゼン作文発表は、作文のプレゼンテーションであるよりも、提言のプレゼンテーションになります。
ここで重要になるのは、文章が上手かどうかということではありません。その文章に盛り込まれている内容がどれだけ創造的であるかということです。
作文が創造性を育てるという目的を持つのは、このような意味においてです。そして、これからの人間社会で、どんな時代でも価値あるものとして残るのは、ゴールドでもマネーでも土地でも資源でも知識でもなく、その人の持つ創造性なのです。
創造性以外のものは、買うか、借りるか、外注するか、コピーするかができます。しかし、創造性は、それぞれの人が自分のものだけしか持つことができません。
そして、人間の社会を豊かにしてきたものは、単に汗水たらして働くことではなく、誰かの創造性に他の誰かの創造性が積み重なってできた創造性の連鎖なのです。
植物は、世界の酸素と炭素化合物を大量に供給しています。しかし、その植物の最初の出発点は、光合成の発明というたったひとつの創造で、あとはその創造を大量にコピーしているだけです。
しかし、そのコピーの仕方にもいくつもの小さな創造があり、ある植物は砂漠でも生き延びる仕組みを創造し、ある植物は極寒の地でも生き延びる仕組みを創造しました。それらの小さな創造の積み重ねが、現在までの地球の豊かさを作り上げてきました。
人間の役割も同様です。すべての人が自分の今いる場所で小さな創造を行うことによって、世界の豊かさは加速していきます。その創造のためのひとつのツールが作文で、作文によって創造を共有する場がプレゼン作文発表会なのです。(つづく)
※次は、「オンライン作文について」です。