公立中高一貫校の入試は、作文試験が定番になっていますが、高校入試でも作文試験を課すところが増えています。
作文試験というものは、採点する側の負担が大きいので、どこの学校でも行われるようになるわけではありません。通常の学力試験で間に合うところは、学力試験だけでこれからもやっていくと思います。
しかし、学力試験以上の学力を求めるところでは、これからも作文や小論文の試験が増えてくると思います。
作文の評価というものは意外と難しく、論旨が合っていてなおかつ独創であるものを優れた作文と評価するという理屈は成り立ちますが、それを人間が読んで判断するのはなかなか大変です。
だから、採点する側の気持ちとしては、誤字があったり、字数が短かったりするものは、内容を読んで評価する以前に、誤字や字数だけで低い評価を下してしまいたくなるのです。
ところが、この誤字や字数や書くスピートというものは、意外と作文の実力と相関が高いのです。
特に、字数についてはそういうことが言えます。
もちろん、簡潔で密度の濃い文章を書く人もいます。長いだけで密度の薄い文章を書く人もいます。だから、字数だけで評価することはもちろんできませんが、一般に文章力のある人は、必要に応じて長く書くことができるのです。
この字数を長く書く力は、すぐにはつきません。また、短い時間で早く書き上げることも、すぐにはできるようにはなりません。
長く早く書くという意識的な努力をして、少しずつついてくるものです。
また、誤字をなくすということも、予想以上に時間がかかります。
800字の作文で1箇所でも誤字がある場合、その生徒はいつ書いても800字で新しい1箇所の誤字があるという確率があります。
その誤字は、小学校中高学年で習う漢字を勘違いして覚えているということが多いので、他人から指摘されなければ気がつきません。
たまたま昨日、思考国算講座で生徒の書いた文章を紹介したときに、そのよくある誤字がありました。内容の優れた文章ですから、よけいに誤字が目立ってしまうのです。
ひとつは、「かたずける」です。これは、昔は一時この書き方が正しいとされたことがあります。ですから年配の人の中には、こちらの方が正しいと思っている人も多いのですが、現代の表記では「かたづける」が正解になっています。
同じように、「読解」の読み方を、「どっかい」ではなく「どくかい」と読むように学校で教えられた時期もありました。だから、いまでも「どくかい」と読む人がいます。間違いではありませんが、今は普通は「どっかい」です。
もうひとつの誤字は、「展開」などの「展」の字の下に左のはらいを書いていることでした。これも勘違いして覚えていると、人から指摘されるまで気が付きません。
同じようによくあるのは、「友達」などの「達」の中を「幸」と書いてしまうことです。これも、正しい字と外見が似ているので、他の人から指摘されなければ気が付きません。
こういう誤字が完璧になくなるのは、私の経験で約1年間かかります。というのは、私自身も誤字が多かったからです。
それをどうやって直したかというと、自分の書いた文章で使った漢字を、易しい漢字も含めて逐一辞書で調べ直したのです。
誤字がない作文を、必要に応じた長さで、指定された時間内に書き上げるというのは、それなりの努力が必要です。
しかし、作文を書く練習というものは、ひとりではなかなかできません。
その第一の理由は、作文を書く勉強というのは、ほかの勉強に比べて負担が大きいからです。
第二の理由は、他人から評価されなければ自分で自分の作文は評価できないからです。
作文の内容的な評価は、誤字や字数やスピードとは別のものです。しかし、相関が高いのも事実です。
だから、作文の評価では、内容以前に誤字や字数で評価されてしまうこともあるのです。
字が上手かどうかということも、読む人の第一印象には影響します。しかし、文章の内容と字の上手さは相関がないと多くの人が感じているので、よほど読みにくい字でなければマイナスになることはありません。
それよりも、正しい表記で長く早く書くことが、内容以前の勉強で最も大事なことなのです。