これまでの社会では、子育ての重点は、知識的な教科と技能的な教科の習得に置かれていました。
国語、算数、理科、社会などの教科と、音楽、体育、芸術なので教科でよい成績を取ることが、多くの人の大きな目標になっていました。
しかし、知識の教科は、答えのある世界です。
必要な基礎知識を身につけることは必要ですが、それ以上に、人よりもよい成績を取るということはだんだん必要でなくなります。
それは、答えのある世界で、より速くより正確により難しい問題を解くという力は、人工知能に取って代わられるようになるからです。
そういうだんだん先細りになる世界で、狭い山頂を目指して競争することは、だんだん割の合わない努力になってきます。
また、技能の教科は、本来は答えのない世界ですが、今の社会のもとでは、目的がコンクールや試合になるので、やはり答えに近いもののある世界になります。
スポーツや音楽や芸術の分野でも、基礎的な技能を身につけることは必要ですが、それ以上に、人よりも優れた技能を持つということはだんだん必要でなくなってきます。
技能の教科の世界も、本質的に次第に先細りになる世界なのです。
では、将来性のある分野とは何かというと、一つは科学の世界です。
科学の世界は、現在でも細分化されていますが、今後は更に細分化、高度化されていきます。すると、その中で、自分の興味のある分野を掘り下げていけば、そこでその分野の第一人者になることは比較的容易です。
その第一人者になった分野で新しいことを見つけたり工夫したりすれば、それがそのまま発見や発明になります。
その科学の世界の子供時代の土台となるものが、読書の習慣と理数系の勉強への関心になります。
将来性のあるもう一つの分野は実験です。科学の世界が、主に頭脳的な世界であるのに対して、実験の世界は行動を伴う世界です。この実験という言葉には、経験とか体験とか挑戦とかいう意味も含まれています。
こういう実験的な行動には、さまざまな不確定要素があり、それに応じてさまざまな個性的な取り組み方があるので、この分野もつきつめていくと、次第に個性的なものになります。
その個性のある分野で、新しいことを見つけたり工夫したりすれば、それがそのまま発見や発明になるのです。
この実験の世界の子供時代の土台となるものが、熱中できる遊びです。
これまでの世の中は、メジャーな分野でできるだけ上位に行くことがほとんどの人の目標になっていました。
その一つの象徴が、オリンピックのような競技です。確かに、その共通の目標によって、多くの進歩が生まれました。しかし、それは、資本主義が発展し、需要が供給を常に上回るインフレ時代の文化だったのです。
これから来るのは、ちょうど江戸時代の、経済的には停滞していたように見えた時代の文化です。その文化の特徴は、競争ではなく個性と創造でした。当時の制約のある時代にも、さまざまな個性的な文化が花開きました。
現代の科学技術と開かれた社会のもとでは、その個性は更に開花しやすくなっています。
これからの子育ては、こういう時代の流れの先を見て重点を考えていくことが必要になるのです。