先日、ホームページの記事で、仮想通貨のことについて書きました。
今、仮想通貨の取引所の新規登録がかなり混み合っているようなので、仮想通貨はすでに多くの人の認識の上では市民権を得ています。
そして今年は、実経済の中でも、法定通貨の現金や預金と同じような存在感を得るようになるのだと思います。
もちろん、仮想通貨にはビットコイン以外にいろいろなものが出ていますから、ブロックチェーンの仕組みそのものが本質的に信頼できるものになるという意味です。
こういう時代に何が起きるかというと、先日の「仮想通貨のあとに来るもの」の記事でも書いたように、世の中の経済的な価値を各人が作れるような時代が来るということです。
昨年の2月に、NHKクローズアップ現代で、「稼げる大人になる」という教育に関する企画がありました。
しかし、この「稼げる大人」の前提となっているものは、今の社会における「稼げる」という基準です。
これからの時代に登場するのは、今の社会を前提にした稼げる力ではなく、新しく来る時代で稼げる力なのです。
それは何かと言えば、稼ぐことではなく仕事を作ることです。
しかし、今の大人はもちろん子供も、仕事を作るという観点からの教育を受けていません。
だから、多くの人が、仕事を作るというと、これまでの経済の中心であった工業製品やあるいは工業的なソフトを作るというようなことで考えてしまうために、そのようなことは一部の人にしかできることではないと思ってしまうのです。
ところが、これから来る時代は、多数の消費者兼労働者と少数の生産者に分離した社会ではなく、すべての人が消費者でありかつ生産者であるような社会です。
それは、社会における消費の中心が、物財やサービスの消費ではなく、自分自身の向上や創造という教育と文化の消費になるからです。
この教育と文化における消費と生産の多様性は、物財やサービスの多様性の比ではありません。
本人が心から好きなものというのは、ある意味ですべての人がそれぞれに違うほど微妙に異なっているからです。
例えば、スマホの多様性でどれが好きかという選択はせいぜい数十種類ですが、自分がどういう人間になりたいかとか、どういうことが本当に好きかという多様性は、文字どおり一人ひとり違います。
その個性のロングテールをもとにして生まれるのが、消費と生産がともに一人の人間の中に存在するような社会なのです。
そして、その多様性を生かすために、今の勉強の中心となっている学力ももちろん必要になるということです。
学力は、いい学校に入り、いい会社に入るために必要なのではなく、自分の手でいい仕事を作るために必要なものになるのです。