デジタルの情報は便利です。
 検索もできるし、コピーもできるし、必要に応じて自分の好きなように加工できます。
 だから、情報はデジタルで処理していくといいのです。
 しかし、学習はそうではありません。
 それは、学習というものが、情報を身体化する作業だからです。
 身体化には時間がかかります。
 コピー、貼り付けという機械的な作業ではできません。
 何度も同じことを繰り返して、少しずつその情報が自分の身体に染み込んでいき、やがて意識せずにその情報が引き出せるようになるのです。
 その身体化に必要なものは、同じものを、同じ順序や同じ配置で、同じように繰り返すことです。
 そのときに、デジタル情報の加工のしやすさがかえって定着を妨げます。
 身体化された情報は、あの辺の棚にある、あのぐらいの大きさの本の、確かあの辺に書いてあったはずだという身体の感覚と結びついています。
 だから、学習の基本は紙ベースで、その補助的なールとしてデジタルがあると考えておくといいのです。
 その紙についても、ばらばらになりやすいプリント類ではなく、1冊に製本されている問題集の方が基本になるのです。
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「もとになる勉強、枝葉の勉強――作文と結びつけて読む力をつける」
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 教育に関する情報が豊富にあると、かえってその中で、何が重要で何が重要でないかを見失ってしまうことがあります。
 親も子供も熱心にやっているように見えても、その方向が脇道にそれている場合も多いのです。
 勉強の中心は、家庭で毎日取り組むと決めたことを繰り返す勉強です。生活の中で毎日当然のように行う平凡な勉強の積み重ねが、もとになる勉強のです。
 これに対して、学校や塾から宿題で出されるような勉強は、枝葉の勉強です。宿題のプリントをもらってきて、それをやるような勉強は、繰り返して身につけるというようなことがしにくいので、結局一回きりの勉強にになってしまうことが多いからです。
 子供が小さいときは、そういうばらばらのプリントをこなすような勉強も、親がファイルをして整理してやらせることができます。
 しかし、子供がひとりでそういうプリント類の管理をすることは難しいので、学年が上がると、与えられた勉強を次々とこなすだけの勉強になりがちです。
 宿題というと、やることが義務のように思うので、その勉強を第一に考えてしまう人が多いのですが、自分のペースでやると決めた勉強がもとになる勉強で、人から与えられた勉強は枝葉の勉強だという区別をしておくことが大切です。
 勉強の内容として大事なものは、第一に読む力をつけることです。小学生時代は特に、速く、楽に、和多く読む力をつけておくことが勉強の中心になります。
 第二に大事なものは、計算する力です。これも、速く、楽に、正確に計算する力をつけておくことです。
 それは、計算が苦手だと、その延長で算数や数学が苦手だと思ってしまうことがあるからです。
 ただし、計算力はあくまでも第二です。
 計算は電卓に代わってやってもらうことができますが、読書は機械に代わってやってもらうことはできません。
 計算力に比べると、読書力の差は表面には出ませんが、実はこの読書力の差がいちばん大きいのです。
 読む力を更に発展させるものとして、音読、暗唱、親子の対話などの勉強もあります。これらは単独で取り組むよりも、作文の勉強の中で取り組むようにすると定着します。
 習い事の中には、子供の個性にあったさまざまなものがあります。英語、プログラミング、スポーツ、音楽など、今は多様な学習の機会がありますが、それらは、読む力、計算する力の勉強に比べると、あくまでも枝葉の勉強と考えておくことが大切です。
 子供の好きな分野で個性を伸ばすことは大事ですが、その個性も、もとになる土台の勉強ができて初めて生きてくるのです。
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