読書は、作文と同じように、答えのない勉強です。
これが、算数の計算問題や国語の漢字書き取り問題など答えのある勉強と違って、一律の取り組みというものを難しくさせています。
読書も、作文も、その子の個性が関係する勉強なのです。
答えのある勉強が客観的な基準を持っているのに対して、答えのない読書には、これがよいと言えるものがありません。
その反対に、こういうことはよくないということを、それぞれの子供に応じて言うことはできます。
その子に応じた読書が必要になるので、ある子にはAがよいと言い、ある子にはBがよいと言うことがあるのです。
どういう読書が大切かということについて、大きく四つのことが言えます。
しかし、この四つを全部やればよいということではなく、それぞれの子供の読書力の状態に応じて、重点を決めていく必要があります。
第一は、毎日読むということです。
読書は習慣になるものなので、毎日本を読む時間があれば、それが生活の一部として無理なく続けられるようになります。
しかし、読まない日が2、3日続くと、そのまま本を読まない生活が習慣になってしまうことが多いのです。
したがって、どんなに本が苦手な子であっても、最初の出発点とするのは、毎日10ページ以上を読むということなのです。
読書が苦手な子でも、10ページという基準は苦になりません。
そして、毎日欠かさずに10ページ読んでいるうちに、あるとき、ふとその本の内容に引かれて10ページ以上読み、そのまま最後まで読んでしまうというようなことが出てきます。
そこから、読書の面白さということに目覚めるのです・
この、毎日10ページ以上必ず読むという読み方が、読書生活の出発点です。
どんな本を読ませたらいいかということよりも、毎日10ページは読むということが最も大切なことなのです。
しかし、ここで大きく誤解する人が出てきます。
それは、毎日10ページ読んでいるから、それで十分だと考えてしまう人がいることです。
毎日10ページという基準は、最初の出発点なのであって、それがゴールなのではありません。
毎日読むというところから、それぞれの子供の読書力に応じて、読書を発展させていく必要があります。
それが、以下に述べる、第二、第三、第四の読み方です。
それは、多読、復読、難読という読み方です。
(「難読」というのは、難しい本を読むという意味の造語です。)
(つづく)