作文や国語の勉強で、最も役に立つのが長文の音読です。
言葉の森が30数年前に、音読指導を始めたころ、世の中に音読の練習をしているようなところはほとんどありませんでした。
そのため、多くの保護者から、どうして音読をするのかとか、音読にどんな意味があるのかとかいうことをよく聞かれました。
しかしその後、音読に効果があるらしいということが広がったせいか、学校や塾でも音読をするようになりました。
ところが、音読は、毎日続けるのがかなり難しいのです。
家庭で、保護者が子供に毎日の音読の習慣をつけられればいいのですが、保護者自身が子供のころ音読をした経験がないことが多く、そのため子供に音読を続けさせることがなかなかできないのです。
これが、かけ算の九九と違うところです。
九九の場合は、親も自分の子供時代やった経験があるので、自信を持って子供に九九の暗唱をっせることができます。
しかし、音読はしたことがないので、自信を持って続けさせることができないのです。
そこで、言葉の森では、音読の練習とゲームの面白さを結びつけるために、読解マラソンというページを作りました。
しかし、このゲームの面白さというのは結局補助的なものであって、基本は保護者または先生の人間によるチェックがないと音読は続けられないということがわかってきました。
ウェブに毎日の記録をするということもできなくはありませんが、そういう機械的な方法では、さぼったり、やらなかったのにやったことにするというようなことがどうしても起きてしまうのです。
そこで、これを根本的に解決する方法として暗唱に力を入れることにしました。
音読は、やっているかいないかが、先生のチェックだけではわかりません。
先生が、「音読している?」と聞き、生徒が「はい」と言えば、それ以上のことは確かめられません。
音読は、毎日続けることが大事なのですが、週に1回や2回でも、子供は「音読をした」と言えるからです。
この音読に対して、暗唱の方は結果がはっきりしています。
毎日やっていれば誰でも少しもつっかえずに言うことができますが、何日かやらない日があると必ずどこかでつっかえたり思い出せなかったりするのです。
音読のチェックのときは、あまりやっていなかった子が、暗唱チェックをするようになってから、かなりの確率で毎日やるようになりました。
そこで、この暗唱の練習をさらに励みになるものにするために、言葉の森では暗唱検定も行うようにしました。
ところが、暗唱している生徒の割合は、本当は百パーセントを目指したいのですが、まだそこまでは到底行きません。
それは、暗唱を続けることも、やはり保護者が自分自身子供時代に暗唱した経験がないことが多いために、家庭で自信を持って子供に続けさせることが難しいからです。
そこで、新しく取り組んだのは、寺子屋オンラインの少人数クラスで暗唱のチェックをすることでした。
人間は、機械やソフトが相手では意欲を持ち続けることはできませんが、他の人間、例えば友達との関係では、意欲を持ち続けることができるからです。
言い換えれば、ゲームは飽きるが友達は飽きないのです。
ただし、その代わり、ゲームや機械と喧嘩する人はいませんが、友達とは喧嘩をしてしまう場合もあります。
つまり、人間にとって他の人間の存在というものは、意欲や感情を伴う分だけ、よい方向にも悪い方向にも強い力を持つのです。
言葉の森では、この人間どうしの関係による意欲をよりよい方向で持たせるために、現在、寺子屋オンラインというオンラインの少人数クラスを開いています。
この人間どうしの交流による学習というものが、これから教育の最も重要な方法になってくると思います。