この世の中で価値あるものは、お金でも食料でも資源でも知識でもありません。
真に価値あるものは、創造です。
創造とは、単に耳当たりのよいキャッチフレーズのようなものではありません。
創造とは、すでにあるものを組み合わせて、まだないものを作りだすことです。
この単純な定義から、子供たちの創造力というもも考えていく必要があります。
既存のものただ並べるだけであれば、それは創造ではなく、単に知識を詰め込んだことにすぎません。
それらの既存の知識を組み合わせて新しいものを作り出したときに創造が生まれます。
その既存のものを組み合わせて新しいものを作り出す力を創造力と呼ぶとすると、創造とは、既にある知識を横軸とし、縦を創造力とする三角形の面積と同じように考えることができます。
現在、子供たちが校で学ぶ知識の多くは、国数英理社のような主要教科の知識です。
これをメジャーな知識と呼ぶとすると、メジャーな知識を底辺とした創造を作り出すためには、極めて高い創造力を持つことが必要になります。
世の中には、既に大きな三角形が作られているので、その三角形の枠の中に収まるものは、すべて二番煎じ三番煎じの小さな三角形です。
プログラミングの世界では、「車輪を自分で作る必要はない」という言葉があります。
最初に車輪を作った人は、確かに創造者でした。
しかし、今新しく車輪を作ろうとする人はいません。
今は、既にある車輪を生かして、ほかの新しいものを作り出す時代だからです。
学校教育で行われていることは、既に作られたことのある車輪の作り方を学び直すことです。
現代の社会では、学ぶことがあまりにも多いため、学ぶこと自体が目的のようになりがちです。
しかし、本当に大事なことは、既存のものを学ぶことではなく、既存のものの上に新しいものを作り出すことです。
ほかの人と同じ知識の横軸にとどまっているかぎり、創造に参加できる人はほんのわずかで、そのほかの大多数の人は追随者の役割しか果たせません。
子供時代に何かに熱中することが大切だというのは、この創造の文脈で考える必要があります。
何かに熱中するとき、人はそれがどのように役に立つかということを度外視して熱中します。
何かに役立つということがわかるものは、ほとんどが既にある横軸の上に存在するものです。
何に役立つかわからないものに熱中することが、新しい横軸を広げることになります。
これからの世界の教育を考えた場合、みんなと同じことを同じようにできるというのはあまり意味がありません。
みんなと同じことができるというのは、ロボットでも人工知能でもできるようになることだからです。
大事なことは、みんなのできないことで自分にできることがあるということです。
そういう新しい熱中できる分野を、子供時代から作っていく必要があるのです。