プログラミング教育について主に語っているのは、プログラミングに思い入れのある人たちと、プログラミングというものを全く知らない人たちです。
だから、プログラミング教育が過大に評価されています。
中学の技術家庭でプログラミングの教育が行われるようになるだろうことは、20年以上も前に予測されていましたが、その後の教育の変化は遅々として進みませんでした。
そして、今やっとプログラミングが学校の正課の教科として取り上げられるようになりましたが、時代はもう一歩先に進んでいるのです。
「スティーブ・ジョブズが子供に学ばせたかったAppleのデジタル教育」の著者であり、アップルの教育部門の初代バイスプレジデントであったジョン・カウチ氏は、コーディング(プログラミング)の教育における可能性を大きく評価しています。
カウチ氏は、デジタルネイティブ世代に人気の高いゲームが、今の教育とは対極にあると述べています。
第一は、対象とする世界がゲームの方が圧倒的に広く、それはプレイヤーの関わり方で無限に広がる点です。
第二は、多くの人との協調や協力が求められ、それが認められることです。学校では「協力」は「ズル」とみなされることがあるのに対してです。
第三は、プレイする場所がオンラインである点です。学校では、オンラインはほとんど活用されていません。
そして、第四は、子供たちが楽しく真剣に取り組む点です。
この第四が最も重要です。
昔のゲームは、今の学校のように細かいルールと一直線の道が用意されていました。
学校の教科書のように、決められた順に読み進めないと先に進めないという作り方がされていました。
パターンを覚えてそれを繰り返し習熟することで、学校教育のように他人に勝つことが目的になっていました。
今のゲームは、勝つことよりも、発見すること、創造すること、協力することに重点が置かれています。
そういうゲームの面白さに通じる教育こそ、コーディング(プログラミング)教育だと言うのです。
この大筋は、全面的に共感できる話で、これからは確かにゲームのように面白い教育が行われるようになると思います。
親が、今の子供たちのゲームを止めたがるように、「もういい加減に勉強はやめて、別のことしなさい」と小言を言うようになる時代がやがて来るのです。
しかし、それがコーディング教育によってなされるかというと、そこには大きな疑問があります。
10年か20年前だったら、コーディング教育こそが、子供たちが熱中する、しかも創造的な教育でした。
今、アメリカで生まれているさまざまなデジタルの革新的技術は、そのコーディング教育で育った世代によって作られたものだと思います。
日本は、このデジタル教育の面で、大きく立ち遅れたのです。
私は、個人的に、日本が立ち遅れた最も大きな原因は日本語文字コードの複雑さと混乱にあったと思っています。
日本語文字コードの相次ぐトラブルが、中高生がプログラミングに熱中する手前の大きな壁になっていたのです。
今はその問題はかなり軽減したので、今後プログラミング教育を進める前提は大きく改善されています。
子供たちが、プログラミングに熱中する時代はすぐに来ると思います。
しかし、時を同じくしてそのプログラミング教育の黄昏(たそがれ)が、現実の社会の側からやってくるのです。
それは、コーディングが時代遅れになる時代です。
昔、鉛筆をナイフで削る教育が行われていたことがありました。
昔の子供たちのように、自分の持っている小型ナイフで鉛筆を削れるようになるというのは、子供たちにとって新しい経験で、その技術に習熟することはそれなりに面白いことでした。
しかし、自動鉛筆削り器があったり、シャープペンシルがあったりする時代に、そのような面白さは持続させることができませんでした。
同じようなことが、プログラミング教育にも生まれてくるのです。
今のプログラミング教育は、一文字ずつ打ち込むような形で行われるものが想定されていると思います。
しかし、そのような手作業的なものは、現実の世界ではなくなりつつあります。
ひとまとまりのプログラミングを一つのブロックとして扱い、そのブロックをレゴのように組み立てる方向に向かいつつあるのです。
ブロックの組み立てにも確かに創造性はありますが、最初から手作業でひとつずつのコマンドを書いて組み立てるような難しさも面白さもありません。
プログラミング教育は、だんだん頭を使わないような方向に進化する可能性があるのです。
それは、かつてパソコンの製造が最先端の技術のように言われていたものが、今ではどこでもできるパーツの組立産業になっていることと同様の進化です。
では、未来の教育を担うものが、コーディング教育でないとしたら、何になるのでしょうか。
未来の教育とは、自由で、自主的で、知的で、創造的で、他の人との協力が自然に生まれるような教育です。
それを、私は、新しい作文教育の中で実現できると思っています。
そして、その新しい作文教育を世界に先駆けて発信できる国が、万葉集の伝統を持つ日本なのです。
これからの寺子屋オンラインの作文クラスを、このような大きな見取り図の中で進めていく予定です。