少子化だから、消費者も減り、労働者も減る。
対策を、育児補助、ロボット化、外国人に求める人もいるが、
それは、前提を工業生産に置いた発想だ。
日本が目指す新しい前提は、創造的な教育文化の生産だ。
日本の停滞の大きな原因として、少子化があげられています。
その対策として考えられているのは、育児補助、ロボット化、外国人など、どれも難しい問題を伴っているものです。
育児補助は、ある程度の効果はあるでしょうが、まだどういう結果が出るか不明です。
ロボット化は、今後進むとしても時間のかかる面があり、また新たな消費を生み出しません。
外国人は、日本の場合は文化と治安の面で大きな問題になる可能性があります。
経済停滞のいちばんの原因は、売れるものがなくなったこと、つまり買いたくなるようなものがなくなってきたことにあります。
この経済の停滞は、日本が少子化・高齢化で世界に一歩先んじた経験をしているとともに、日本が新しい展望で切り開く可能性を持たなければならない課題なのです。
経済停滞の本質は、工業生産が完成しつつあることです。
中国をはじめとする新興国は、新しい機械設備と比較的安価な労働力で、大量に工業製品を生産できるようになりました。
その結果、先進国だけでなく世界的に工業製品が十分に行き渡るようになりつつあります。
つまり、工業生産が経済を牽引するという役割は終わりつつあり、消費する側が今以上に消費するものがなくなり、生産する側も今以上に生産能力を増やす必要がなくなっているのです。
この工業の生産にとってかわるものが、これから述べる文化の生産です。
かつて日本の高度成長期に三種の神器と言われたカー、クーラー、カラーテレビは、それぞれ数十万円から数百万円の価格がありました。
この価格が、GDPを支えていました。
しかし、ここに、ゴッホの絵とか千利休が作った茶杓とか、そういう文化的な「物」があったとしたら、それも数十万円とか数百万円とかいう価格を持つことができます。
ところが、このような「物」を作るとか売るとかいうことは、工業生産時代の名残で、これからの経済を支えるものではありません。
文化的生産とは、例えば、人が新しい文化的な技術を身につけたいので、それを習得するための費用として毎月1万円払って講座に通うというような文化的消費に対応した生産です。
1万円の受講料で1年間学び続ければ合計は12万円で、5年間続ければ60万円です。
これは5年間持つ耐久消費財を60万円で購入したことと同じ経済的な効果があります。
この受講料の1万円が、2万円になり3万円になり増えていけば、GDPに与える効果も2倍3倍と増えていきます。
では、2万円も3万円も出して学びたいものは何かと言えば、それは自分が将来その文化的技能を身につけ、学ぶ側から教える側に回ることができると位置づけられるようなものなのです。
新しい文化産業は、単に文化を消費する産業でありません。
音楽会に行くとか、絵画を見に行くとか、落語を聞きに行くとか、そういう従来の文化的な消費は、それはそれで産業として成り立っていました、。
しかし、今後、人間がもっと高くてもいいからよりよいものを手に入れたいと願うのは、単に消費するものではなく、それを学ぶことによって自分が生産する側に参加することとができるような投資の面を持つものなのです。
消費する文化産業は文化産業でしかありませんが、投資する文化産業は、教育文化産業という性格のものになります。
このときに思い浮かべる文化というものを、野球とかサッカーとかゴルフとかバスケットボールなどのようなメジャーな文化と考えるべきではありません。
また、絵画や音楽のような文化も同様で、その文化の世界で生産する側に回るというのは、才能がある人にとってもかなり困難です。
なぜなら、それらはメジャーな分野で確かに多くの人に消費されるとしても、それ以上に生産する予備軍があまりに多い完成された文化産業だからなのです。
未来の新しい文化産業と考えられるものは、例えば、私がよく例にあげるさかなクンのような独特の個性を持った文化です。
例えば、さかなクンが、将来の魚博士を育てる「さかなクン講座」を開催するとします。
そこで魚博士になれた人は、自分も将来さかなクン講座を開催することができます。
もちろん、中にはそういう魚の世界に興味があるだけで、別に自分が講座を開催しなくてもよいが参加したいという人もいます。
さかなクンが、さかなクン講座を開き、その受講生の中から新しいさかなクン講座を引き継ぐ人が出てきます。
しかし、話はそこで終わりません。
さかなクン講座の内容は、今考えられる範囲では、現在さかなクンが実際にやっているさまざまなイベントくらいしか考えつきません。
しかし、人間の個性はかけた時間に比例して深化し進化していきます。
すると、さかなクンは、これからさらに新しい企画を考え、その企画は次第に高度になり、やがて常人が容易には追いつけないような境地にまで達する可能性が出てくるのです。
日本では、それを「道」という名で読んでいました。
例えば、お茶を入れるとか、花をいけるとかいうごく普通の技術が、日本では茶道や華道という「道」の文化にまで発展してきました。
さかなクンが自分の個性を時間をかけて深めていくと、そこに「さかなクン道」のような新たな道の文化ができる可能性があるのです。
さかなクンの例は、さかなクンが個性で成功したわかりやすい例なので取り上げましたが、同じようなことはこれから人間の個性の数に応じて、ということはつまり人間の数に応じて無数に生まれてきます。
それぞれの人がそれぞれの個性を生かして文化を作り、その文化を教える仕事を始めます。
その文化を学ぶ人は、それを学ぶと同時に、やがて自分がその文化を教える側に回るという可能性を持っているので、その文化に対する支出は、通常の文化的消費の支出よりも高くなる傾向があります。
そして、高く売れる講座を教える人は、自身もまた新しいことを学ぶために高い受講料をものともせず他の人に教えを請いに行くでしょう。
すると、個性的な文化に支出する高い受講料は、回り回って世の中のGDPを引き上げていくのです。
これまでの工業生産では、物を作る人と使う人が分離していたので、売る人が高く売りたいと思っても、買う人は安く買いたいと思うのが普通でした。
そして、供給の競争が激しくなるにつれて、物は次第に低廉化していきました。
しかし、文化産業においては、買う人が売る人にも成長していく可能性があるので、「もの」は高く買うことができます。
そして、売るものは文化で、個性に応じてさまざまに多様化していくものですから、供給は過剰になるということがありません。
今の茶道や華道のような完成された文化は、裾野が広いと同時に、頂上が狭く限られているために、教わる人がそのまま教える人になるという可能性は、あるとしてもかなり少ないものです。
しかし、これからの新しく生まれる多様な文化産業においては、裾野は狭いものの頂上はそれに比べてゆとりがあるので、教わる人がそのまま教える人に成長する可能性は高くなります。
そして、インターネットの世界では、裾野はロングテールとして広がっていきます。
かつての茶道や華道の文化では、その場所に来られる人しかその文化を学ぶことができませんでしたが、オンラインの世界では、地球の果てからでも学びに来る人がいます。
多様な文化と広い裾野、そして、その文化を教える個性的な教育。これが未来の教育文化産業として日本のGDPを発展させていく道なのです、
工業製品の時代には、意図的なスクラップ化が行われました。
しかし、文化産業の時代に行われるのは、スクラップ化ではなく高度化です。
「道」の文化を目指す高度化を進めるために,教える側は、日々精進しなければなりません。
教わる人が、数ヶ月学んで満足するような講座では、「道」の文化にならないからです。
スクラップ化は、GDPを引き上げるために資源を浪費し環境を破壊する面を持ちました。
それに対して、高度化がGDPを引き上げる道は、より高度な教育とより高額な価格ですから、資源にも環境にも影響を及ぼすことなく経済だけを豊かにすることができます。
さて、では、この新しい教育文化産業は、どこで生まれるのでしょうか。
私は、それを森オンラインのような少人数のオンライン学習で、創造発表クラスのような個性と創造性を学習の中心とした教育で行っていきたいと思っています。
子供たちはさまざまな個性を持っています。
その個性を育て発揮させるお母さんが、教える側の先生になり、個性的な教育を行っていくようになるのです。
やがて、お母さんではなく、子供自身が教える側に成長するかもしれません。
しかし、それは先の話ですから、当面は、今の子供とお母さんが、学ぶと同時に教える力もつけ、新しい個性的な学習文化を作っていきます。
ところで、個性を生かした創造的な学習は、今後の教育の土台ですが、それだけでは不十分です。
個性と創造の土台の上に、読み書き考えるという本質的な学力があり、更にその上に、英語・数学・理科・社会のような現実的に学ぶ必要のある学力があります。
そして、また読み書き考えるという学力の左右には、さまざまな経験と、さまざまな実行があります。
これを図示すると、次のような図になります。
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┃ ┃現実の学力┃ ┃
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┃実行┃読み書き ┃経験┃
┃ ┃考える力 ┃ ┃
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┃ ┃個性と創造┃ ┃
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この「現実の学力」を自主学習クラスで、「読み書き考える力」を作文読解クラスで、「個性と創造」を創造発表クラスで行い、「経験」を合宿教育で行い、実行は本人に任せ、教える先生は森林プロジェクトで募集するという計画を考えています。