小学校高学年の生徒の保護者から、塾の記述の問題で以前はほとんど書けなかったものが、言葉の森で作文の勉強始めてから楽に書けるようになったという話を聞くことがあります。
これは、ある意味で当然のことです。
というのも、記述問題を書く力と作文を書く力は同じですから、作文が書けるようになると記述問題も同じように書けるようになるからです。
言葉の森の作文指導では、これまで作文をほとんど書けなかった子が、言葉の森で勉強することによって初めて楽に書けるようになったという話をよく聞きます。
なぜそういうことができるかというと、それは作文の勉強の仕方が違うからなのです。
通常の学習塾などでの作文指導や通信教育での作文指導は、まず子供に作文を書かせてから、その良いところや悪いところを添削するという形で勉強が進みます。
この添削というのが、良いところを褒めるよりも悪いところを直すことに重点が置かれるのは容易に想像できます。
本人がせっかく一生懸命書いた作文を、欠点だけ毎回指摘していれば、真面目な子ほど作文が書けなくなっていきます。
低学年の子は、さらにその傾向が強くなります。
このため、作文指導に熱心な先生に教えられるほど作文の苦手仲間増えるという逆説が生まれているのです。
言葉の森の作文指導は、添削して直す指導ではなく良いところを褒める指導です。
と言っても、漠然と良いところを褒めていたのでは、子供たちの実力が伸びません。
作文を書く前にどういうところに注意して書いていくのかを事前に指導し、その指導した項目ができたことを褒めると言う手法なのです。
こういう指導を行っている作文教室は、言葉の森以外にはありません。
この事前に項目を指導して褒めるという指導すると、どんなに作文が書けない子もすぐに書き出すことができるようになります。
それは、自分が何を求められているのかが分かり、その求められていることができれば褒められることがわかっているからです。
事前指導のない作文の教え方では、子供は、自分が何を求められているのかわかりません。
そして、とりあえず一生懸命書いたとしても、その書いた作文の欠点をあれこれ直されるだけだという予測ができます。
そのために、作文が書けなくなっていくのです。
これは、家庭で作文の勉強している場合にも当てはまります。
子供が書いた作文をお母さんやお父さんが見る場合、最初のひとことは必ずと言っていいほど注意のひとことです。
特に、自分の子供の作文の場合は欠点だけが先に見えるので、どうしても最初に注意をしてしまうのです。
子供は作文を書いている間も、書き終えたあと親に注意されることが予想できるので、低学年の子の場合は書くたびに親にどう書いたらいいか聞くようになります。
よく、子供が聞いてばかりいてなかなか自分の力で書かないという相談を受けることがありますが、それはお母さんが直す指導を続けていたために、何でも親に聞く書き方をするようになったのです。
親がいつも作文の良いところを褒めていれば、子供は本当に必要なことしか聞きません。
子供が書くたびに質問するのは、褒める指導ではなく、注意する指導をしているからなのです。
(つづく)