動画:
https://youtu.be/hPRE1pvhpXU
私(森川林)は、高校生のときは理系のクラスにいました。
そして、理数の成績は、そこそこいい点数を取っていました。
しかし、今思うと、数学も物理の授業も、問題の解き方がわかるだけで、感動がなかったように思います。
後年、自分でプログラムを作っているときに、数学の知識が必要になり、昔使った高校の数学の教科書を取り出して勉強し直しました。
そのときに、数学というのは、やはり役に立つのだということを実感しました。
意外だったのは、因数分解のいろいろなパターンよりも、根の公式を知っているだけですべて片付くということでした。
因数分解は、結局パズルの練習をしていたようなものだったのです。
また、多数のプロットから近似線を出すというようなことも、高校生のときはぼんやり勉強していただけでしたが、自分で作ってみて、なるほどと納得するところがありました。
しかし、本当は、役に立つ以上に、数学や物理の勉強の持つ感動を、授業の中で知っていれば、勉強はもっと面白くなっていったはすだと思うのです。
今の高校の理数系の勉強は、受験のための勉強になっていて、感動を伝えるような勉強にはなっていません。
社会の勉強なども、特に歴史の教科は、感動のある勉強になるはずですが、そういう学習にはなっていないと思います。
これからの授業は、スタディサプリのようなところから、わかりやすく面白い動画が次々と出てくるでしょうから、先生の仕事はどんどん少なくなっていきます。
その中で、なお残る先生の役割があるとしたら、それは、ひとつは子供の未来を見てあげられること(つまり、どんな子にも可能性があることを確信できること)と、勉強の持つ感動を子供に伝えられることだと思います。
私の尊敬する人の一人である糸川英夫氏も、理科の道を選んだのは、高校の理科の授業に感動したからだということを書いていました。
もちろん、理科でも、国語でも、音楽でも、何でもいいのです。
そういう感動を伝えられる先生に巡り合うことが、学校にいく意味です。
もちろん、それは学校でなくてもいいのです。
人によっては、友達や先輩や会社の上司ということもあるかもしれません。
大事なことは、感動を伝えられるような人に出会うことです。
そして、自分自身も成長して、将来、人に感動を伝えられるような人になることだと思います。