「文章が『書けない』大学生に何ができるか…未来の先生フォーラム」という企画があるそうです。
https://reseed.resemom.jp/article/2022/11/18/5096.html
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自分の思いや考えを表現する「正解のない問題」が近年の総合型選抜・学校推薦型選抜においてみられるようになった。さらに、大学の初年次教育では約9割の大学がレポート・論文の書き方等文章力向上に関する授業を取り入れている現状がある。そのため、「文章力」の重要性が高校と大学の双方で高まるとともに、文章力の向上を目指す高大の円滑な接続・連携は国語科に限らず学校教育にとって重要な課題と考えられるという。
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ということだそうです。
言葉の森の生徒で大学生や社会人になった人から、ときどき次のような声を聞くことがあります。
「中学生のころに自分が書いた作文を見たが、かなりレベルの高いことを書いていた。今、そういう文章を自分が書けるかどうかわからないぐらいの内容だった」
大学生や社会人になった人が、自分が小学校高学年や中学生のときに書いた作文を見て、感心するのです。
しかも、それは、その生徒がそのときに自分の言葉でしっかり考えて書いた作文です。
これが、言葉の森の毎週の作文の成果と言えるものです。
今の学校教育では、生徒が毎週作文を書くということは、たぶんありません。
小学校低学年のころは、作文の授業があっても、小学校高学年や中学生になると、作文の授業はほとんどなくなります。
中学生の場合は、作文の授業としてではなく、夏休みの宿題として、税金とか人権とかいうわけのわからない作文課題を出す程度です。
しかも、その宿題に関するアドバイスも評価もないのが普通です。
なぜ高学年や中学生、高校生になると作文指導がなくなるかというと、指導の方法がないからです。
今の日本で、小学1年生から高校3年生までの作文指導のカリキュラムを持っているのは、言葉の森だけだと思います。自慢するわけではありませんが。
では、今の学校でどういう作文教育をしたらいいかというと、それは、小4からはパソコン入力で森リンのような自動採点をすることです。使える自動採点は、森リンしかないと思いますが。
今の教育の最大の問題点は、教育が、競争に勝つための教育になっていることです。
だから、人生や社会にとって役に立つことのない、受験で差のつきやすい問題を解く教育に明け暮れているのです。
そういう勉強の多くは、知識の詰め込みです。
一見考える勉強のように見えることも、考え方という知識の詰め込みです。
その考え方の知識も、人生や社会に役立つことではなく、受験という競争に勝つための知識です。
作文や読書や対話は、受験のための教育ではありません。
最近は、受験作文が増えてきたので、受験のために作文を勉強する人も増えてきましたが、本当は自分の思考力、読解力、創造力を伸ばすための勉強です。
それが結果として受験にも役立つということです。
文章を書くための教育も、単なる書き方の指導ではなく、なぜ文章を書くのかという意義にまでさかのぼる必要があります。