●動画:
https://youtu.be/0af3YQG7MFc
昔、お年玉付きの年賀状というのは、みんなはわずらわしく思っているだろうからと思って、お年玉付きでない年賀状を出していたことがあります。
すると、身近な人から、「そんなことを思っている人はほとんどいないから、お年玉付きで出したほうがいい」と言われました。
そんなものかなあと思って、それからは、お年玉付きで年賀状を出すことにしました。(素直。)
小学生のころ読んだ本で、「昔、お金の鋳造というものが貴重だったころ、田んぼにお金を落とした人が、人を雇ってそのお金を探させた」という話を読んで、なるほどと思ったことがあります。
落としたお金の金額より、人を雇った金額の方がずっと大きいのです。
しかし、人を雇えば、そのときに使ったお金は、働く人に渡ります。だから、無駄でも何でもありません。
落としたお金を見つけなかったら、それはその分だけ世の中の富がマイナスになります。
よく、物を値切る人がいますが、値切って得した分は、値切られて損をした分と同じだから、世の中は何も豊かになっていません。
だから、そういう損得は、どうでもいいことです。
宝くじも同じです。得した少数の人は、その分、小さく損をした多数の人と損得が相殺されているので、世の中は何も豊かになっていません。
入試についても同じです。
合格した人の分、不合格になった人がいるのですから、その合否は世の中の進歩とは無関係です。
合否のために努力することは貴重ですが、その過程が貴重なのであって、合否の結果は世の中全体を考えればどうでもいいことなのです。
高校3年生のとき、大学入試の合格を担任の先生に報告しに行き、そういう自分の気持ちをふと伝えたら、担任の先生に怒られました。
そのとき、そういうことは、あまり一般的な考え方でないのだと知って、やや意外に思いました。
では、何がいちばん価値があるかというと、自分も得をして、他人も得をして、世の中全体が得をするものです。
すべての人が得するもの、それは創造なのです。
これまでの世の中にないものを作り出せば、それは自分も、他人も、世の中全体もよくなります。
競争ではなく、創造。これからは、そういう時代になっていくと思います。
話は変わりますが、私が、競争よりも創造という考えを持つようになったのは、自分の性格も影響していると思います。
私は、何か他人と対立するようなことがあったら、大体自分の方を譲ります。
意識はしていませんが、自分が損をしても他人が得をすれば、世の中全体は変わらないと気持ちがあるからだと思います。
しかし、また話は変わりますが、最近のマスクとか、ワクチンとか、消毒とかいうことについては、他人から言われても自分の思ったとおりにやっています。
つまり、マスクもしないし、ワクチンも打たないし、消毒もしません。
人間は、すべてのことについて、自分の自由な考えで行動することが大事で、それが世の中をよくすることにつながると思うからです。
(マスク、ワクチン、消毒については、科学的にも害があることがわかっているということもあります。そのことについては、
In deppさんの記事を参考にするといいと思います。)