●動画:https://youtu.be/u4EQT_b-vcA
「助長」という言葉があります。
早く育てようとして苗を引っ張ると、かえって苗は根づかずに成長が遅れる、又は枯れてしまうという話です。
子供たちの成長の様子を見ていると、そういう経過を感じることがしばしばあります。
子供がまだ勉強の自覚がないころから勉強をさせすぎると、その後、勉強に飽きるということがあります。
反対に、子供を自由に遊ばせていると、あるときから自覚して、急に熱心に勉強するようになるということがあります。
勉強を自覚する時期は、大体15歳です。
孔子の言葉に「吾れ十有五(じゅうゆうご)にして学に志す」というものがあります。
「十有五」とは「十歳プラス五歳」で十五歳ということです。
人間の成長は、昔からそういう時期を経過して進んでいくのです。
外からやらせられる熱心さと、自覚してから自ら進んでやる熱心さとでは、質が違います。
適当な言い方ですが、十倍以上違うと思います。
だから、子供は自然に成長させて、やる気になったときに頑張らせるというやり方が最も無理なく最も能率がいいのです。
ただし、その土台には、家庭での読書と対話が必要です。
中学受験塾は、今は、小3の終わりごろから始めないと間に合わないということになっています。
しかし、こういう時期に、競争に乗せられて、それまでやっていた自分の好きなことを自由にする時間を削ってしまった子は、長い目で見れば、成長を遅らせると思います。
ゴールは、大学に合格することではなく、社会に出てから活躍すること、あるいは、社会に出てから自分らしく生きることです。
そのときに、自分の好きなことを、自然の成長に合わせてたっぷり楽しんだという子供時代の経験が生きてくるのです。
大人の人は、誰でも自分の経験を振り返れば、何が成長に役立ったかわかっています。
塾や予備校の詰め込みの勉強が役立ったと思う人は少ないはずです。
友達との出会いや、無駄な遠回りや、自分で選んださまざまな選択や挑戦や決断などが、その後の自分の人生の骨格になっているのです。
オンライン4人クラスの週1回の授業では、最初に約15分の読書紹介があります。授業の後半5分から10分は一人一言の時間があります。
この勉強の中身とは関係のない一見無駄話のような時間が、勉強と同じように重要なのです。
勉強は、それぞれの生徒が家庭で毎日の自主学習としてやっています。
その毎日の家庭学習が、勉強の中身です。
その毎日の家庭学習を続けるきっかけが、週1回の授業で、友達と会い、友達の勉強の様子を知り、先生とお喋りすることなのです。
茨木のり子さんのの詩に、「学校あの不思議な場所」があります。その一部。
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学校 あの不思議な場所
校門をくぐりながら蛇蝎(だかつ)のごとく嫌ったところ
飛びたつと
森のようになつかしいところ
今日もあまたの小さな森で
水仙のような友情が生れ匂ったりしているだろう
新しい葡萄酒のように
なにかがごちゃまぜに醗酵したりしているだろう
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子供たちは、勉強を教えてもらうために学校に行くのではありません。
勉強するきっかけをつかむために、学校に行き、いたずらをしたり、お喋りをしたり、たまに勉強をしたりします。
そして、みんなそれぞれに自分らしく成長していきます。
これが、コミュニティによる教育です。