白バラ
●動画:https://youtu.be/97hCChl3yAU
※この記事は、最初の部分を「国語読解掲示板」に書きました。
https://www.mori7.com/ope/index.php?k=45
====国語読解掲示板からの引用
読書感想文コンクールが今年で終わる、というのは、決して大げさな言い方ではありません。
普通に考えれば、そうなります。
例えば、読書感想文コンクールに入選した作品のいくつかが、ChatGPTやBardを使って書かれたものだったとした場合、コンクールの意味がなくなってしまいます。
同じように、大学のレポート提出も、会社のエントリーシートも、意味がなくなります。
マスの参加者を対象に、リアルな場ではないところで、不特定多数の生徒を選抜をするということ自体が、ある意味で不可能になっているのです。
変わらなければならないのは、教育の側です。
最もあてになるものは、その場のリアルな対話か、その参加者の過去の実績です。
過去の実績は、今後、ブロックチェーンで保存できるようになるので、過去の実績はその人の本質と結びつく形で残るのです。
しかし、もっと大事なことは、教育の概念を変えることです。
▽参考記事
【夏休み2023】第69回青少年読書感想文全国コンクール課題図書一覧
https://resemom.jp/article/2023/05/18/72171.html
====引用終わり
さて、では、変わらなければならない教育の概念とは、どういうものになるかということです。
現在の教育は、顔の見えない不特定多数を前提としています。
確かに、30人学級や40人学級であれば、先生は一応みんなの顔は見えます。
しかし、生徒の成績を順位や偏差値で評価するとき、そこでは子供の顔は見えなくなります。
カンニングが起こるのは、生徒が自分を不特定多数の一人と考えているときです。
感想文コンクールで、ChatGPTを利用して書き上げようとする人出てくるのも、それは、自分を不特定多数の一人だと考えているからこそ、そういう発想が生まれるのです。
もし、これが5人程度の互いに顔の見える少人数のクラスであったとしたら、カンニングやChatGPTによる盗作は生まれません。
なぜかというと、一人だけズルをすることは、格好悪いことであるだけでなく、意味のないことであると思うようになるからです。
人間は、人間の関わりの中では、普通に人間らしく生きることができます。
しかし、人間の関わりのない機械的な環境で、任意の一人として生きるとき、狭いエゴで生きるようになるのです。
読書感想文に教育的な意義があるとしたら、それは少人数のクラスで感想文の練習として行われるときです。
もし、そこで誰か一人がChatGPTを使ってうまく感想文を書いたとしても、それに気がついたとき、みんなはただ笑うだけです。
「おまえ、そんなことやって上手に書けて面白いの?」
だから、誰も不正なことをする気にはなりません。
自分自身の向上のために勉強するという原点が残るだけだからです。
大事なのは、顔の見える人間的なつながりの中で教育が行われるということです。
今の教育は、人間のつながりのない中で行われています。
インターネットとITテクノロジーは、それを能率のよい教育として加速させています。
優れた授業の動画を低価格で配信し、定期的にテストを行い、個々人の苦手な分野をAIで抽出して再テストを行うという流れは、能率のよい教育の典型です。
今、生まれている教育系ベンチャーの多くは、そういう方向を目指しています。
しかし、人間の最も重要な本質は個性です。
その個性は、同じようにそれぞれの個性を持つ数人の友達や先生やその他の人と接する中で磨かれていくものです。
その磨かれ方には、もちろんプラス面だけでなくマイナス面もあります。
いわゆる悪友や反面教師という役割の人とのつながりもあるからです。
しかし、そういうつながりの中でこそ、人間は自分らしい個性を伸ばしていけるのです。
これが、ChatGPTなどのAIテクノロジーを超える、新しい教育の概念です。
AIは、教育の脇役です。
人間のつながりの中で行われる教育が本筋なのです。
この新しい教育の概念は、言葉だけでは実現できません。
概念を実現させる器としてのプラットフォームが必要です。
それが、オンライン少人数クラスのプラットフォームです。
オンラインでロングテールを利用できることと、5人以内の少人数で全員がつながりを持てることと、クラスという単位で永続性があることが、このプラットフォームの条件です。
話は変わりますが、読書感想文コンクールがなくなることに伴って、学校から毎年夏休みに出される無意味な感想文の宿題もなくなると思います。
また、税金とか人権とかいうテーマの作文の宿題もなくなると思います。
作文や感想文は、宿題やコンクールとしてではなく、少人数クラスの授業として行っていくものです。
人間のつながりの中で、自分の言葉で文章を書くからこそ勉強の意義があるのです。
ところで、話はまた少し変わりますが、読書感想文コンクールを主催している学校図書館協議会の課題図書は、例年、とてもいい本を選んでいます。
出版社の持ち回りになっているという批判もあるかもしれませんが、全体に良書を選んでいます。
過去の課題図書のリストは、子供たちの本選びの参考になります。
https://www.j-sla.or.jp/contest/youngr/pastbook/612015.html
しかも、昔の課題図書は、中古でたくさん出ていますから、多くが1円(送料250円)で購入することができます。
図書館やブックオフでもすぐに見つけることのできるものが多いと思います。
課題図書は、感想文を書くためにではなく、読む本の参考として活用していくといいのです。
▼「桃太郎」を例にした感想文の書き方
https://www.mori7.com/as/1314.html
▼読書感想文の書き方——小学校低・中学年の感想文
https://www.mori7.com/as/537.html
▼読書感想文の書き方——小学校高学年の感想文
https://www.mori7.com/as/538.html
▼読書感想文の書き方——中学生の感想文
https://www.mori7.com/as/539.html