ガクアジサイ
上手な作文の重点は、学年によって変化します。
小学校低学年の作文の重点は、題材です。
小学校中学年は、題材とともに表現です。
小学校高学年からは、主題が重要になってきます。
中学生、高校生は、構成、題材、表現、主題のすべてが重要になります。
作文試験を受ける受験生は、ここに、字数とスピードが加わります。
小学1、2年生で、なぜ題材が重要かというと、この時期は自由な題名で書く作文課題だからです。
低学年のころの作文で、テーマを与えて書かせるのは早すぎます。
まだ、体験の種類が少ないので、テーマに合った実例を見つけられないことが多いからです。
自由な題名というと、子供の作文は、学校の話か、学童の話か、家族で日曜日に何かをした話になります。
作文の勉強は、書くことが中心の勉強なのではありません。
書く前の題材選びや題材作りが半分で、もう半分が書くことという割合の勉強です。
題材選びの工夫がないと、子供の作文は、多くの場合、「今日は学校で、こんなことをしました」という話になります。
しかし、そういう題材の多くは、「こんなことをさせてもらった」という話ですから、受け身の題材になります。
すると、誰が書いても同じような内容の作文になることが多いのです。
作文の中に、自分らしい個性があることが上手な作文の条件です。
だから、題材が重要になります。
しかし、題材のよさだけで上手な作文になるのではありません。
同じ題材でも、平面的な作文と、立体的な作文の違いがあります。
それが、語彙力の差です。
人間が読んで感じる違いは、「よく書けているけど物足りない」と、「よく書けていてしかも面白い」という言葉で言い表せます。
この違いは、実は、森リン点の違いです。
物足りない、つまり平面的だと感じる作文は、語彙の種類が多くありません。
面白い、つまり立体的だと感じる作文は、同じ字数でも、使われている語彙の種類が多いのです。
この語彙の種類の多少による違いは、小学生だけでなく、中学生でも高校生でも出てきます。
森リン点の上位になる作文は、語彙の種類が豊富なのです。
語彙の種類の豊富さを生み出しているものは、ひとつは親子の対話で、もうひとつは読書です。
特に、読書は文章語彙が豊富なので、本をよく読む生徒は、あることを表現するのに、それにふさわしい的確な言葉を使うことができます。
文章語彙の蓄積が乏しい子は、面白かった話の感想を書くときに、「面白かったです」とか、「とても面白かったです」とか、「とても、とっても、すごーく面白かったです」とかいう言葉しか出てきません。
中学生ぐらいでも、「やばい」という言葉で、すべてを表してしまう子がいるのと同じです。
同じようなことを体験していても、語彙力の乏しい子は、平面的な体験になり、語彙力の豊かな子は、立体的な体験になっているのです。
では、対話と読書を改善してすぐに成果が上がるかというと、そういうことはありません。
算数や英語であれば、がんばればすぐに成績が上がります。
必要な知識の範囲が狭いので、やれば成果がすぐ出てきます。
しかし、国語は、日本語の長い生活習慣の中で身につけたものですから、必要な知識の範囲が桁違いに広いのです。
毎日欠かさずに問題集読書を続けて、成果が出ることなどあきらめかけた半年ぐらいたってから、気がつくと語彙が増えていたというような上達の仕方です。
だから、国語や作文が苦手な子は、気長にやっていくことが大切です。
さて、では、小学校低学年で、すでに上手な作文を書いている子は、これからどういう方向で勉強を進めたらいいのでしょうか。
それは、高学年になって主題が重視される作文に対応できるように、親子の対話のレベルを上げることと、読書のレベルを上げることです。
もちろん、急にそういうことはできません。
少しずつ、親子の対話と子供の読書に、事実文に必要な語彙だけでなく、説明文や意見文に必要な語彙を追加していくようにするといいのです。