山椒の実
面白い記事がありました。
基本は合っていますが、ちょっと違うと思ったことがありました。
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「語彙力がある子」たちの習慣…国語講師が見つけた「例外なき共通点」とは?
https://news.yahoo.co.jp/articles/d11b4d1a5874e4d2b36dd31851e944e1ae9e9a95
一方で、「語彙が乏しい子」に共通する点にも少し触れたいと思いますが、これは「家庭が言葉に触れられる環境になっていない」ことがあげられると思います。
当然ですが、親の語彙力は子どもに影響します。いつも同じ言葉で話しかけていては、語彙は伸びていきません。お子さんには、ぜひいろんな言葉で話しかけてみてください。
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この話は、本当です。
親が子供にいろいろな話しかけをすることが大事です。
しかも、その話しかけは、単なるお喋りでも、単なる知識の伝達でもなく、知的な話しかけであることが必要です。
昔、横断歩道で信号待ちをしている親子の、お母さんが子供に、
「赤が止まれで青が進めよ」
と言っているのを聞きました。
そのとき、そういうことを言うなら、
「赤の止まれが青になるときはすぐ青なのに、青の進めが赤になるときは途中に黄色が入るのはどうしてかなあ」
などと言えば面白いのになあと思ったことがありました。
別に、それは答えを要求するための話しかけではありません。
正解を求めるような話しかけではなく、親子の対話を楽しむ話しかけなのです。
同じことを感じたのは、ドクター・中松さんの「
お母様」を読んだときです。 中松さんの母親が、折に触れて、知的な対話を楽しんでいたのです。
「『語彙力がある子』たちの習慣」の記事の最初の方に、次のような話があります。
「(毎年一番勉強できる子に勉強の仕方を聞いて)その結果わかったことは、ひとりの例外もなく全員、語彙や言葉に関する「学習まんが」で学んでいたということです。」
これだけ読むと、では、子供に「学習まんが」や「子供しんぶん」や「図鑑」や「辞典」をたくさん与えておけばいいと思うかもしれませんが、そうではありません。
そういうものに関心を持つ土台として、最初に親子の知的な対話があるのです。
そして、親子の知的な対話があれば、「学習まんが」や「子供しんぶん」や「図鑑」や「辞典」は、特になくても何も問題ありません。
「学習まんが」や「子ども新聞」は、結果であって原因ではありません。
では、親子の知的な対話をどうしたら進められるのかというと、それは作文です。
これまで、勉強のよくできる子は、お父さんやお母さんと、作文の課題を通していろいろな話をしていました。
例えば、「がんばったこと」という題名では、親が子供時代にがんばったことを話して聞かせてあげます。
「友情について」という題名でも、親が子供に、子供時代に友情を感じた経験を話してあげます。
「自然の多様性」という題名でも、親がこれまで経験した多様性の考えを子供に話してあげます。
こういう話が、毎週できるのが作文です。
もちろん、その話が、作文に出てこなくてもいいのです。
親子で話した言葉は、そのまま子供の語彙力になっていきます。
そして、子供は単に語彙力を伸ばすだけでなく、お父さんやお母さんの生きた人生も学んでいくのです。