国語、算数数学、英語なら、答えがあるので、自分で評価することができます。
しかし、作文は、自分で自分の文章を評価することができません。
これまで、体験学習に来た子供たちに、作文が得意かどうかを聞いてみると、共通する傾向がありました。
「作文が嫌い」というのは普通に書ける子です。
「作文は普通」というのは、よく書ける子です。
「作文は好き」というのは、あまり書けない子でした。
作文力は、自己評価はできないのです。
答えのある勉強であれば、解答を見て自己評価ができます。
答えのない勉強は、他人に見てもらわなければ自分の実力がわかりません。
東洋経済オンラインに、わかりやすい記事がありました。
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高3までに得たい「文章力」磨くための重要なコツ
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https://toyokeizai.net/articles/-/662595
「なーんだ、そんなことは学校で習ったし、うちの子も学校で習っているはずだから大丈夫。日本語は書けるわけだし、問題ないでしょ」
とおっしゃる親御さんもいます。それでも、まずは一度、だまされたと思ってお子さんに文章を書かせて、それを見てみてください。十中八九、その期待は裏切られることになると思います。
この中でも特に注意が必要なのは、「『です・ます調』と『だ・である調』の混在と、「話し言葉や若者言葉」です。
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「ですます体」と「である体」の混在の作文を書く子は時々います。
小学5年生以上は、「である体」で書くのが基本です。
小4までの課題は、「私の好きな食べ物」のような身近な課題が多いので、「ですます体」でいいのです。
小5からは、「読書の大切さ」のような説明と意見が中心になる課題が多いので、自然に「である体」で書くようになります。
「ですます体」は、話しかける文章で、「である体」は、内省する文章です。
「ですます体」は、手紙や志望理由書などのように、相手に語りかける文章のときに使います。
論説文を「ですます体」で書く人はあまりいません。
「ですます体」と「である体」を意識的に混在させて書く人もいます。
野坂昭如さんは、そういう文章を書いていたと思います。
しかし、作文試験で、「ですます体」と「である体」を混ぜて書くと、それだけでボツになります。
それは、読み返すときに、文末の違いがあったらおかしいと思うのが普通だからです。
つまり、作文力以前に、読む力がないとみなされるからです。
作文力に、正解はありません。
だから、他人に見てもらうことが必要です。
昔、慶應義塾大学に、志望理由書を書いて1回落ちた子が、2回目の挑戦のために志望理由書の添削を頼んできたことがありました。
一読して、自分のことしか書いていないことがわかりました。
相手にアピールするための文章ではなく、自分のために書いた文章になっているのです。
それで、内容を添削して直してあげたら、今度は無事に合格しました。
文章というのは、他人に見てもらわないとわからないのです。