天外伺朗(てんげしろう)さんの「GNH」という本を読みました。GNHとはグロス ナショナル ハッピネス(国民総幸福度)のことです。その中に、外発的動機ではなく内発的動機で学ぶ(又は遊ぶ)ことの大切さが書かれていました。
外発的動機の中には、競争したり強制したりすること以外に「褒める」ことも含まれます。褒めて、親や先生の求める方向に誘導するというのも、子供にとっては外発的動機で学ぶことなのです。
言葉の森では、生徒を「褒める」ことの大切さを述べています。この「褒める」は、天外さんの本に書いてある「褒める」と言葉は同じですが、中身がちょっと違います。
よく、生徒のお母さんに、「もっと『褒めて』(A)あげてください」と言うと、「でも、『褒める』(B)ところがないときはどうするんですか」と聞かれることがあります。
Aの「褒める」は、「認めてあげる」という意味の「褒める」です。Bの「褒める」は、いいことをした報酬としての「褒める」です。
よくできたから褒めるのであればだれでもやっています。しかし、その裏側には、あまりできないから叱るという発想があります。できているから褒めるのではなく、できていなくても褒める、つまりその子がそこにいることをそのままでいいと認めてあげることが本当の「褒める」なのです。
人間は、自分についてはどんなことをしていても、その自分を認めています。しかし、他人に対しては「○○してほしい」と要求し、その要求が満たされないと認めてあげることができないというところがあります。そうではなく、他人に対しても、自分を認めているのと同じように認めてあげることが褒めることなのです。
生徒の作文に関して言うと、先生の言ったことができていればもちろん褒めます。しかし、全然できていなくても褒めます。
書いている途中に近くを通りかかり、「おっ、もうそんなに書いたんだ」というのも褒め言葉です。それがただ2、3行書いている場合でもそうです。
「今日は元気そうだね」というのも褒め言葉です。
「字をていねいに書いているね」でも「おもしろそうな題名だね」でも、何でもいいのです。しかし、それは、字がていねいでなければ注意するとか、つまらない題名なら注意するとかいうことの反対にある褒め言葉ではありません。「君がそこにそうしていること自体が、先生は(又はお母さんは)すごくうれしいよ」というメッセージとしての褒め言葉なのです。
では、そういう褒め言葉だけで、みんな上達するのでしょうか。
そのとおりです。で終わってしまってもいいのですが(笑)、それではものたりないので、もう少し付け加えると、褒めることと並行してやっていくことは、力をつける工夫をすることです。言葉の森の作文指導の場合、それは読書や暗唱の自習です。褒めることと自習をさせることの両方を並行してやっていけば、勉強の仕方としては完璧です。
人間には、もともとよくなりたいという内的な動機があります。その内的な動機を発揮させるためには、その子をそのまま認めてあげて、更に実行しやすい方法を教えてあげればいいということなのです。
では、自習をさせるということは強制にはならないのか、というややこしい話が出てくる可能性があるので、そのことに関して説明すると、一つは、躾に関しては強制でも強要でも何でもありなのです。朝起きたらあいさつするとか、ご飯を食べるときはテレビは見ないとか、それぞれの家庭で決めたルールは強制しても守らせなければなりません。しかし、それは決めたルールを守るということですから、家庭によっては食事はテレビを見ながら楽しく食べるというルールにしているところもあるかもしれません。その場合は、それでいいのです。大事なことは、人間的な生活をするために決めたことは厳しく守らせるということです。「躾は厳しく、勉強(の結果としての成績について)は甘く」というのが、家庭教育で最も大切な原則です。
もう一つは、子供の様子を親が自分の目でよく見ていれば、何が必要で何が必要でないかは自ずからわかるということです。そうすれば、それが必要な強制か不要な強制かも自然にわかってきます。
ときどき、保護者の方からの相談で、「学校の先生にこう言われたのですが」「テストの成績がこうだったのですが」「作文の項目ができないのですが」「宿題が多くて大変なのですが」などと聞かれることがあります。先生もテストも宿題も勉強の目標も、すべて子供の外側にあるものです。そういう外側の枠だけを見て、肝心の子供自身を見ずにその外側の枠に子供をあてはめようとしている人が多いのです。
親が子供をよく見ていれば、「先生にどう言われても、成績がどうでも、宿題なんてできなくて、あなたは今のままで大丈夫」と自信をもって言えるようになります。また逆に、「だれからもどこからも言われないけど、このことに関してはあなたは絶対にこうしなきゃだめ」ということも自信をもって言えるようになります。その自信は、その子をよく見ることから始まるのです。