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9月の森リン大賞(中2・中3・高・社の部) as/1058.html
森川林 2010/10/29 11:03 



 9月の清書をもとにした森リン大賞の作品です。



9月の森リン大賞(中2の部68人中)


文鳥

 私は今年、ドイツへ行った。そこでは、私と同い年ほどの女の子が大人の議論をしていたりする。ただ、この自己確立が吉と出るか凶と出るかはわからない。お国柄にもよるだろう。日本では間違いなく浮く存在となる。日本は出来るだけ意見を言わずに慎ましく、耐え忍ぶのが美徳だ。現在、その心情が薄れてきているということも否めないが、それはやはり様々な形で根強く残っている。例えば、意見を強く主張するとそれは異端とみなされ礼儀知らずだと言われる。『出る杭は打たれる』だ。また、反対意見も「善処します」や「考えます」などの、直接的な、つまり、あからさまな反対はしないのが暗黙の了解なのだ。

 個人の自立は大切だ。

 自分という『個』が確立していなければこれからの国際社会では生きていけないだろう。今まで・・・少なくとも、明治になるまでは日本はあまり世界に出て行こうとはしていなかった。それが故に自分のことはあまり立てず、反対に相手を立てるといった独特な物言いが発展したが、それが今や結果的に自分の首を絞めているのかもしれない。勿論、そのような独特な文化を否定するつもりは毛頭ないし、むしろ、そのような文化を私は好ましく思う。だが、その一方で『己の自立』というものを無下には出来ない。

 例えば、私にとって身近な剣道を例に挙げよう。剣道は団体と個人があるが、どちらも1人で試合をする。応援する人はたくさんいても、肉体的にも精神的にも事実、闘うのは自分1人である。どのように動くか、どのように試合をすすめるかは自分の中で考えるしかない。誰かがアドバイスしてくれるようなことはない。また、試合によっては声援の声もあげてはならない試合があり、ある意味孤立する。それに、ガッツポーズをするといった自分の感情を示すような動きをしたら販促だ。自分の気持ちを行動に表すような下手な真似は出来ない。気持ちも己の中に留めて置く他ないのだ。これは、ある意味『己の確立』というものではないだろうか。

 相互の助け合いも大切である。『お互いに馴れ合っているだけだ』と悪く言ってしまうとそれまでだが、だからと言って1人で事を推し進めるのも如何なものだろうか。分からなかったら聞かなければ間違えているかもしれない。人が困っていたら助ける。まあ、これは場合によるかもしれないが、助けるのが人情というものだろう。

 回覧板というものがあるが、これは町内で起きた事件や出来事、お知らせを近所の人に知ってもらうためのものだ。これは、私が見た限りではドイツにはなかったし、近所づきあいがあまりない。となりから醤油を借りてくるというのは論外だし、親が出払うから子供を預けるというのは全くと言って良いほどない。助け合いの精神が薄いというと言葉が悪いが、自分の身は自分で守れといった信条なのかもしれない。

『出る杭は打たれる』ということわざがある。確かに、日本では古くから他の人と違うことをしたら避けられ、仲間はずれにされ、挙句の果てには異端だというレッテルを貼られてしまう。あまりでしゃばれば目立ちたがり屋だと言われ、苛められる。意見の主張と相手を立てることを上手くやっていかなければならない、というのが現状だ。相手を立てつつ、意見も主張する。ということが出来る者が好かれる。

 ヨーロッパにも日本にも良いところがある。どちらが悪いかではなく、1番大切なのは、この2つを上手く調合させ、これからの未来につないでいくということではないだろうか。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1文鳥90143869728587
2他人との協調ゆうたん86115361647393
3いろんな色なまず大使85136054727184
4相対的な考え方たけたけ84103767737587
5行動することについてまーくん8298154777689
6人のあり方ハオハオ81103156687286
7マニュアルをどう使うかチョコ81109459586780
8自分とはタケル80131048617989
9努力して喜びを味わう201系7911154710511087
10相対的なものと絶対的なものフラワ7979748757697



9月の森リン大賞(中3の部59人中)

自然の禁止
嵐ちゃん

 現在の子供たちの心からは自然と触れ合うことの大切さが薄れているといってもいいだろう。犬を生まれてから今まで、一度も触ったことがないという子がいるぐらいなのだから、無くなっているといっても過言ではないのかもしれない。そんな中でも私は、自然を肌で感じる生き方をしたい。

 その方法は第一に、自然を恐れずに立ち向かうことだ。私の通っていた小学校には隣に御成山と呼ばれる山があった。私はその山が大嫌いだった。山の近くに行けば、体の色々な箇所を蚊に刺され、山から下りてきた蛇やたぬきは校舎内に入り・・・。蛇やたぬきに何かをされたわけではないのだが、動物園のようにしつけがされていなくて私とその動物を仕切る柵もないのだから迫力がとてもあり、恐かった。先生達がその動物を捕まえて、山に戻すまで私はその動物がいた場所から一番遠い場所を探し、ずっとそこで友達と話していたものである。そんな自然が大嫌いだった私が初めて登った山、それは御成山だ。毎日のように先生に御成山には登ってはいけない。と言われていたのだが、友達に強引に誘われて仕方なく登ってみたのである。登ったとき、先生に怒られるということより私の頭の中は蛇に会ったらどうしよう、ということでいっぱいだった。山は初めは緩やかな傾斜が続くのだが、途中からだんだん急な傾斜に変わっていく。それとともに、木が多くなっていき周りが暗くなったように感じられた。だが頂上まではとても近かった。20分程度で着いただろうか。周りは木ばかりで下の様子などほとんど見えないが、空気がとても気持ちの良いものだった。半袖、半ズボンという服装だった私と友達は登る途中何回か枝に肌がひっかかったものの、何の動物にも会わずにすんだ。切り傷は痛かったが、何故だか、とても楽しかった。頂上に着いてからしばらくして、山の下から誰かが大声で叫んでいる声がした。熊か蛇が出たのだと思った私達は息をひそめてその場でじっとした。するとまた大きい声がした。息をひそめていたせいか、その声はさっきよりもはるかにはっきりと聞こえた。その瞬間、私と友達2人は熊や蛇のことを忘れて必死に学校とは反対側の方向に山を走って下った。山が急で木が多いので、しりもちをついてそのまま滑って下っていった。途中、何度も枝に引っかかったが無理矢理枝を引っぱって抜いて走った。おかげで、下に着いた頃私達の服は土で汚れ、腕や足は切り傷だらけだった。だが、これは自然を恐れずに立ち向かった証拠である。自然は人間の身体を傷つけるものであるとともに、癒してくれるものでもある。自然と立ち向かうことによって自然は私にそんなことを教えてくれた。

 第二の方法は、大人たちはむやみに子供たちに禁止をするのではなく自然の中で自然の大切さを自ら学んでくる知識を育てるべきだ。私の初めての山登りでの大きな声の正体。それは学校の先生たちだった。私達、山側にいる者からは木が多く、学校の様子を見ることはできなかったが、学校側からは動き回っている姿が見えていたのだろう。1人の男の先生がメガフォンから
「御成山に登っている子達、早く下りなさい。今すぐ下りてきなさい。先生達からはっきりと見えています。下りなさい。」
と言っていた。それを聞いた私達は、
「ヤバイ。怒られる。」
と思い、走って山を下ったのだ。幸い、すぐに山から下りたため、誰が登っていたのかばれることなく、厄介な校長室に呼ばれることなくすんだ。あれから4年後の今、あの頃の自分を不思議に思う。自然と初めて向き合った日から小学校を卒業するまであの後1度も自然と向き合った試しがない。それは、学校側が自然と向き合うことを禁止していたからだろう。本来、うさぎが入っているはずのうさぎ小屋には何もなく、ただ草が敷き詰められているだけ。鶏小屋も同様だった。山に登ってはいけないという規則があれば、同じように近くの池や川には入ってはいけないという規則がある。では、私達子供に何を学べというのだろうか。勉強、友達関係以外にもっと大切なものがあるのではないだろうか。大人になってからでは学べないかもしれない。何でも規則というものに子供達を縛りつけるのではなく、子供達が沢山のことを体で体験して、自分たちで危険だと感じるものには自分で禁止をかける。自らの身を通して自然の脅威を感じることが必要なのではないだろうか。だから大人たちは子供たちに自然のありのままの姿を勉強させるためにもむやみに禁止をしてはいけないと思う。

 確かに子供たちが危険な事をして大怪我をしてしまったりする前に禁止をかけることは大切だ。しかし、「未来には、ひとりでにできる未来と、自分で作る未来との2つがある。」という名言があるように、自分で物事を考えて行動することも大切である。だから私は、自然を肌で感じる生き方をしたい。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1自然の禁止嵐ちゃん88199057668189
2動く歩道か茨の道か音楽大好き少年87116959698186
3untitled(^ω^#)ピキピキ86156854848487
4切花文化おむふ8513875910110389
5私は二十前ほど前からトウモロコシ85158453637389
6人の鳥瞰arugebak8485266859186
7非野生の自由だるまー84101369757486
8実は私にもまったく同じ経験が(感)ちえのわ82177261649087
9自然な美しさいちごサクラ81110548536397
10地球の命ポチト8092552667290



9月の森リン大賞(高1高2高3社の部146人中)

欧米化
いすも

 現代、二千四年の地点で、マクドナルドの店舗数が三千五百を越した。渋谷や原宿に行くと髪を金髪に染めて、ピアスをし、メイクやマニュキア、それに欧米ファッションを着こなす女子中高生が増えてきた。カタカナ語も随分と増えたし、アメリカからの輸入品を販売する店舗数も増えてきた。子供のおやつは今や干し柿やするめいかではなく、もはや欧米で人気の高いグミやクッキーとなってしまった。現代日本では、欧米化することばかりを重視することが問題となっている。

 その原因の第一に、日本人が欧米のものを高く評価しすぎていると思う。私はカナダに住んでいるので、周りは白人がたくさんいる欧米文化の中で暮らしている。そしてたまに日本に一時帰国するときに私は毎回驚いてしまう。カナダにどこでもあるようなマクドナルドやスターバックスなどが東京にもあり溢れているではないか。その他にもケア・ベアやエルモなど、欧米キャラクターが日本では大人気である。実際にケア・ベアやエルモなどはこちらの幼稚園児に人気があるので、このようなキャラクターが何故日本の女子高生に人気が高いのか私には不思議である。それに、日本人は地毛がきれいな黒髪なのに、たくさんの人がわざわざ茶髪を好み、染めている。純和風と思われてカナダでは親しまれている黒髪を避けるのだ。これらのように、カナダに住んでいる日本人の女子高生として、私には日本人に対してわからないことがたくさんあるのだ。確かに白人に憧れる思いは分かるが、だからといって彼らの服装を真似したり、髪色や髪型を変えなくても良いと思う。

 原因の第二に考えられるのは、戦後、欧米が日本にもたらした影響が今でも残っているからだ。私はカナダに住んでいる前、父の転勤で沖縄に四年間住んでいた。沖縄は日本で一番欧米の影響がまだ強く残っている県であると思う。特に沖縄の11%は米軍基地であり、しかも沖縄県で一番良い土地が米軍基地として使われている。だから、沖縄に住んでいる時は、日本ながらもアメリカ人との交流がたくさんあったし、基地外でもアメリカのスーパーストアやアメリカのレストランなどがよく見られた。沖縄のアメリカンスクールに通っていたため、そこでできた基地に住んでいるアメリカ人の友達の家によく遊びに行ったりもした。一般人の沖縄市民が基地の中を入るのは禁止されているが、基地の中に住んでいる友達や親戚がいれば通してくれるのだ。基地内は、まったくアメリカ。今、私が住んでいるカナダの光景とあまり変わらないほどである。このように、沖縄に住んでいると自分が日本に住んでいると言う実感がわかない。もちろん沖縄県は立派な日本の県であるが、これ程までにも欧米の影響が強いと本当に分からなくなってしまうのだ。

 確かに、欧米化を重視することも悪くはない。今の時点でアメリカは世界一の国である。このような世界の頂点に立っている立派な国の影響を自国に与えることは悪いわけないだろう。だが、あまりにも欧米化を重視し、日本の純和風文化が壊されていくのはよくないと思う。日本人は欧米化を重視することを一番とするのではなく、自国の文化をまず重視すべきであるというように、いくら欧米社会に憧れても、欧米人に好意を持っても、まず重視すべきであることは自国の文化である。




順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1欧米化いすも91136063928990
2清書まじめさん88130557698193
3海外はブランドさくら86118754718086
4もめごとと人間関係ゆうちゃり~86124857697292
5清書ひろみ8594263808189
6科学技術PINK8210106110910786
7 一つの命・地球きへあ82102359587286
8解決手段ちな8196254597784
9日本人が持つカプセルの変化くこう80176749929887
10stand or fall by everyoneゆりん8090951607395


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森リン(103) 子供たちの作文(59) 

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9月の森リン大賞(小6-中1の部) as/1057.html
森川林 2010/10/28 11:01 



 9月の清書をもとにした森リン大賞です。


★1位の作文は、冒頭に要約の部分が残っていたので、代表作品にしませんでした。次回は、清書の場合、要約は省略するか自分なりの説明として書いていきましょう。

9月の森リン大賞(小6の部135人中)

立候補の大切さ
ブレイド

 僕は、陸上部で、キャプテン決めを長い間やっていた記憶がある。キャプテンになれるのは、六年生だ。一度、五年生のとき、キャプテン体験をしたことがある。六年生は、キャプテンの仕事をしないで、来年六年生になる五年生が、キャプテンがどんなものか、一人一回ずつ体験することができるのが、キャプテン体験である。僕はキャプテン体験をやった後から、ずっと自分はどうするのか、悩み続けていた。キャプテン以外の六年生の仕事は、あと一つある。副キャプテンだ。しかし僕は、それ以外にも仕事はあと一つ残っているとぼくは思う。クラブ全体を盛り上げる仕事である。その中の仕事で、クラブ員の五年生男子は、
 「副キャプテンだったらやっていいよ。」
という人がほとんどだった。どうすればキャプテンが決まるのか、それが一番の問題だった。女子はすでに候補は決まっていて、男子からキャプテンの候補者が出たら、その中の誰がキャプテンになるか話し合うことになっていた。しかし、六年生がクラブを卒業する日がせまっていて、その時までに誰かが、立候補しなくてはいけない。僕は休んでいた人に電話をかけたりして、とても忙しかった。しかしそれでも立候補するひとはあらわれなかった。そんなとき、僕の母が、
 「コーチや監督は、キャプテンになってくれたらいいなって思っているのはYなんやって。」
といった。これには僕はびっくりした。自分がコーチや監督の理想の人物だったということは、いままで考えたこともなかったからだ。悩みに悩んだが、まだ決心は付かないままだった。そんなとき、コーチが、
 「キャプテンって、一人じゃないんやから。みんながおるねんから、キャプテンであっても、困ったことがあったらみんなで助け合うもんやねんで。」
といってくれた。僕はその時に、
 「あっ、そうなんや。じゃあやってみようかな。」
といったのである。他にやりたい人の数は、ゼロのままだった。その後すっかり自信がついて、僕は女子とよく話し合ったうえで、キャプテンになったのである。
 しかし、日本人がとてもはずかしがりだと思うのは、間違いかもしれない。僕の学校の友達は、まるで、長文にでてきた外国人のように、よく手を挙げる。僕たちにとって、初めての宿泊学習になる、林間学習のときは、班のメンバーの全員が班長になりたがっていた。僕はつられて班長を決めるジャンケンに参加し、勝ってしまった(笑)。そのため班長になるところだったが、僕はやっぱり責任の重さを感じてしまった。しかし、やっぱりやめると友達の前でいうのがはずかしくて、僕は副班長になった。
これが、僕が何かを自分からやろうとしたときの始まりである。僕は、何でも恥ずかしがらずに、やってみる事が大切だと思う。
 人間にとって、何かを進んでするということは、その人自身を成長させることだということが分かった。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1役に立たないものの役立ち方ふっくー85111954667887
2立候補の大切さブレイド84118752597689
3カンサイ弁カンセン症コレルリ81112748678290
4人の長所と短所ピロシ81101048647087
5名前は面白いきろや80110048758486
6人を表す長所と短所けん8096641637789
7むだなものを楽しむ気持ちサスケ7994451577280
8私の長所短所クローバー79100842607190
9くり返しすることでなの花ナナちゃん7893251587484
10世界じゅう、どこに行ってもひたえ7884947617492



9月の森リン大賞(中1の部93人中)

ルール、規則、そしてまたルール
ことのは

 私は、ある程度の自己家畜化は必要なことだと思う。

 第一の理由は、ルールが無ければ、その組織の秩序がみだれてしまうからである。ルールはその組織の中での「約束事」だ。守らなくてはならない暗黙の了解が、組織の中にはある。私達中学生が通う中学校の規則といえば「校則」だ。この校則は生徒手帳に細かく記され、守るようにという空気を醸し出している。制服を着るというのも、校則によって義務づけられた項目だからである。「学校生活では私服を着ていてよい。」という校則が無い限り、制服は中学校に存在し続けるのだ。他にも校則の項目は様々な所に及ぶ。スカートの丈、靴下の色、髪の色、ブラウスの下に着るTシャツの色、冬着用してもよい衣類など……。私達にとってはわずらわしいばかりだ。例え靴下がピンクだろうがカーディガンを着ようが、スカートが短ろうがいいだろうと思う。それぐらい自由にさせてくれたっていいじゃないかと思う。しかし、私の中学校に通う人達は校則をほとんど守っている。全て決められた通りに行動しているわけではない。現にスカートの丈をひざより上に上げている女子はいる。それでも金髪や赤い髪の人は見受けられない。「頭髪は脱色も、染色もしてはいけない」という校則があるからである。もしもこの校則は無く何もかも自由であったなら、どうなるだろうか。校則に縛られないと生徒は狂喜乱舞するかもしれない。しかしそうなると誰も制服を着用することなく私服を身につけるだろうし、ゲームや菓子類を持ち込み授業が成り立たなくなるというのは目に見えている。その状態に陥ればもう中学校とは呼べない。校則で束縛されるのは嫌だが、ルールがあることで、「中学校」という組織が成立しているといえる。

 第二の理由は、規則を守って生活を続ければ、世の中をうまく渡っていけるからである。例えば会社に着いていなければいけない定刻を守らず、毎日のように遅刻している人がいたら、その人に信頼感はわかない。むしろ仕事を与える気にもならないだろう。上司や部下からの信頼を失えば、給料ダウンにもつながりかねない。また定められた規則をいつも破っているような「違反者」も嫌われる。クラスで決められたルールを守らない生徒が、信頼を失っていくのと同様に。このように、社会の中でも、学校でも、集団生活の中ではルールが必要不可欠なのだ。定められた規則を守ることで他人から信用され、社会のシステムの中を生きていくことができるのである。

 確かに、あまりにも規則、規則と言って束縛されるとストレスが溜まってしまう。しかし、「人はその制服の通りの人間になる」という名言があるように、人間は社会のルールとマナーを守って生活することで快適に生きていくことができるのだ。私達は知らず知らずの間、無意識のうちにルールによって支配されているとも考えられる。そのルールによる支配を誰も自覚していない。無意識のうちに私達人間がルールを守っていることで、この社会全体もルールによって守られているのである。この仕組みの中では、ルールを忠実に守る人ほどうまく生きていけるといえよう。だから私はある程度の自己家畜化は必要であると思う。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1ルール、規則、そしてまたルールことのは91131269818784
2脱・縦型社会闇の女帝90143164889489
3社会に欠かせない人きぬこ87136359889389
4けんかはコミュニケーションのツールだきろゆ86159857648081
5秩序と無秩序織田信之助86122564657187
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7自己家畜化ロールケーキ84112167607480
8自己家畜化では個性は育たないきんぐ83100961647586
9正確に伝えるリザードン8399953767483
10人と家畜化ピルル82109561608580


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子供たちの作文(59) 森リン(103) 

記事 1056番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/27
世界でも有数な日本語の語彙の豊かさ as/1056.html
森川林 2010/10/27 13:13 


 「ピーター流外国語習得術」(岩波ジュニア新書)を読みました。この本には、日本の中学生や高校生が、これから外国語を勉強するにあたっての意義や勉強の方法がわかりやすく書かれています。その意味で、中高生にはおすすめの本です。

 ちなみに、著者のピーター・フランクルさんは、「1953年ハンガリー生まれ。1971年国際数学オリンピックで金メダル。1988年から日本在住。国際数学オリンピック日本チームのコーチ。数学者。大道芸が得意。日本語を含め11ヶ国語を習得している。」という人です。

 詳しい内容は、本書を読んでいたことにして、考えさせられる内容がいくつかあったので紹介させていただきます。


 ピーターさんは、日本人の使う日本語について、人によって大きな差があると述べています。同じ日本人の中でも、豊富な語彙を持って話す人もいれば、いつも、「あれ」「これ」「それ」「だって」という言葉で話している人もいるということです。

 11ヶ国語を学んだピーターさんは、日本語の特徴として語彙が豊富だということを述べています。細かいニュアンスや差異を表す言葉があるという点で、日本語は世界一難しい言語だとも言えるようです。


 しかし、現在では、テレビでの対話の影響からか、反応のよい条件反射的な言葉をすぐに返すことが求められる風潮があります。また、メールの普及も、スピードのある返信という傾向を後押ししています。内容よりも、反応の速さを優先する社会になっているようです。

 同じことは、読書にも言えます。子供たちに人気のある本の中にも、限られた語彙と会話だけで話を展開させているものがかなりあります。中身はテンポがよくて面白いのですが、事実の経過だけが面白おかしく書かれているような本です。

 子供たちの本選びは、内容が面白いかどうかということ以上に、使われている語彙の豊かさをもっとを評価する必要があります。もし、森リンの点数で評価するとすれば、語彙の豊かな日本語を使った小説は上位になるはずです。いつか、代表的な本について統計をとってみたいと思います。


 さて、現在、世界の言語の人口は、中国語約10億、英語約6億で、そのあとヒンディー語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、ベンガル語、ポルトガル語、マレー語、フランス語と続いて、日本語は1億2千万の人が使っています。

 日本語のブログやツイッターの情報発信数は、世界の言語の比率から比べるとかなり高くなっていますが、そこには、日本が先進国でインターネットが広く普及しているという事情もあります。

 文化は、その国の言語と不可分のものです。日本の文化を守り発展させていくということは、いまの日本語の豊かさを生かして、日本語を世界の人が使える言語になるように発展させていくことだと思いました。

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touko 20170117 77 
日本語のすばらしさの一旦です。

ああああ 20180325  
小説も、
「小説なんか役に立たない」
と言われますけど、
実はそこが語彙を増やす入り口でもあるんですよね。
本当に頭がよくなりたいのであれば、効率ばかり求めてはいけません。

森川林 20180326  
 小説は、語彙と感動する心を育てていると思います。どきどきとか、わくわくとかいう感じです。
 説明文も、小説文も、どちらも大事なのでしょうね。

ちしき 20180919  
日本語の「豊富」な語彙は、言い換えると「多くて手間」とも言えます。
私は日本の発展には、日本語の整備がもっとも重要であると考えています。
漢字や語彙の氾濫とも言える日本語の状況は、整備する必要がありますね。

森川林 20180920  
 ちしきさん、ありがとうございます。
 日本語の整備というのは、当用漢字が制定された背景と共通する面があると思います。(今の常用漢字ですが)
 一時はそれで知識がもっと普及しやすくなると思われたのですが、実際には、学力の低下が起こったようです。
 だから、これからは、日本語の教育と、日本語の活用が大事になるのではないかと思います。

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日本語脳(15) 

記事 1055番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2024/11/27
日本の未来の見取り図(6)―フリーエージェント時代の教育 as/1055.html
森川林 2010/10/26 09:04 



 未来を切り開く新しい産業は、修行(自己の向上)と起業です。その修行と起業の社会に最も近い位置にいるのが日本です。

 そして、生活の中で自己の向上を目指す人が多くなるほど、その社会における起業のチャンスが増えていきます。また、起業して自分らしく働く人が増えるほど、生活の目標が自己の向上になっていきます。

 このように考えると、今の子供たちの目指す勉強の道筋がわかってきます。

 第一は、あらゆる教科を幅広く学ぶことです。文系だから理数はやらないとか、理系だから文学はやらないなどというのは、工業時代の歯車の一部として働く人間になるための発想です。自ら起業する人は、幅広い教養を身につけておく必要があります。

 第二は、自分の好きなことは何かということをいつも意識して探していくことです。

 第三は、常に独立の志を持ち続けることです。それは今の会社を辞めるという選択肢だけではなく、会社に勤めながら空いた時間を自分らしい仕事を持つことにあてるということも含みます。

 フリーエージェントになるための社会的条件は整っています。

 情報時代には、新しい仕事を始めるのに巨額な資金や設備は必要ありません。昔は仕事を始めるためにオフィスや事務員が必要でしたが、今は自宅のパソコン1台で間に合います。情報化によってそれだけ管理が楽になったのです。

 また、宣伝や販売についても、昔は多額の宣伝費やよい立地条件が起業の条件のひとつでしたが、今はインターネットが1本つながっていれば、大企業と比べて遜色(そんしょく)のない宣伝や販売ができます。

 昔は、会社に就職するまでが人生の勝負どころで、いったん大きい会社に入れば、あとは与えられた役割を果たすだけで次第に給料は上がり、役職も付き、そこに一生勤めることができ、退職後の年金も保証されるという社会でした。

 そして、社会全体が発展し企業も発展していたので、そういう組織的人間として勤めることが自分自身のチャレンジにもなり、自己の向上にもなっていました。また、企業も社員を教育し成長させることに力を配ってきました。

 しかし、今の企業はそうではなくなりつつあります。経済発展のなだらかになった社会では、ルーティンワークをいかに効率よくこなすかに仕事の重点が移っていきます。

 それを企業の側から見れば、成長の止まった分野で利益を確保するために、いかにコストを削減するかということに目が向いていくということです。つまり、これからの組織的人間は終身雇用どころか、常にリストラの圧力にさらされながら生きていかなければなりません。

 しかし、それは決して悲観的なことではありません。

 現代は、工業製品の大量消費の社会が終わり、これまで社会の発展を担ってきた工業時代の企業が、情報産業も含めて、次々と電気・ガス・水道事業のように公共のインフラになっていく時代です。

 その結果、余剰になった人的資源は、今後は物作りではなく、人作りに向かうのです。その人作りが、新たな人作りという需要を生み出し、そのようにして、物ではなく人によって支えられる文化が花開く時代が来ます。

 言わば、今は、地球人全員が芸術家になるような時代の前夜にいるのです。まだこの前夜は長く続くかもしれませんが、そのあと新しい夜明けが来ることに多くの人が気づき始めています。

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がんばろう 20101027  
日本の未来について、とかく否定的な評論の多い中、森川林先生の前向きなメッセージを読んで、うれしくなり、やる気が出てきました。

森川林 20101027  
> がんばろうさん

 ありがとうございます。
 個人でも社会でも、よい面を伸ばすのが大切だと思います。
 日本のよい面を伸ばしていけば、今あるように見える悪い面はすぐに消えていきます。
 その点で、日本は、思い出せるよい面がたくさんあるのが強みです。まだ、思い出していないだけ(笑)。

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日本の未来の見取り図(5)―フリーエージェント社会だった江戸時代 as/1054.html
森川林 2010/10/25 13:24 


 フリーエージェントとして生きる自営業者が、同じ分野で企業人として生きる他の8割から9割の就業者と共存し、しかも企業に勤める人よりも平均して高い収入を保っているというのが今のアメリカ社会のひとつの断面です。

 なお、「フリーエージェント社会の到来」(ダニエル・ピンク)によると、建設業なども含むすべての自営業者で見た場合、全米で3300万人約4人に1人がフリーエージェントとして働いているそうです。

 今はまだ社会全体が大量消費社会の名残を残しているので、高収入の自営業は法律、税務、会計、医療など一部の専門分野に限られています。

 しかし、人々の志向が豊かな消費生活から、豊かな自己向上へと向かうにつれて、自己の向上に伴うさまざまな商品やサービスを提供する専門分野が今後要求されるようになります。


 このフリーエージェント社会の萌芽は、日本の江戸時代の多様な文化の中に見ることができます。

 江戸時代には、花の好きな人は、いろいろな掛け合わせのアサガオやツツジを育て、その専門的な知識や技術をひとつの職業として成立させていました。

 鳥の好きな人は、さまざまな声で鳴くウズラを育て、その育て方の知識や技能をやはりひとつの職業として成立させました。

 そのほかに、ヒバリをかごの中で一定の高さを保ったまま飛ばせさえずらせる知識や技術、サルを訓練して猿回しをさせる知識や技術、ウソという鳥におみくじを持ってこさせ開かせるような知識や技術、特殊な色合いを持つ布を織る技術、落語など話の内容と話し方で人を楽しませる技術、歌舞伎、短歌、俳句、小説などの技術、また、剣術をはじめとするさまざまな武術の技能などと、各人の好みと適性に合った専門的な知識や技術が多様に花開いたのが江戸時代だったのです。

 ちょうど今のカルチャーセンターのようなものが社会全体に広がり、しかもそれぞれの頂点には人並みはずれて優れた専門的知識や技術を持つ人々がいるという、文字どおり文化の花開く社会が生まれていたのです。

 しかし、江戸時代は、大量の武士階級という非生産的な人口を抱えていたためと、社会の安定を維持するために経済の発展に歯止めをかけていたという事情から、それらの文化が十分に広がったとは言えませんでした。

 ところが、それが今日の日本でこれから花開く情勢ができてきたのです。


 未来の社会を先導するのは、軍事、金融、ITなどの産業を中核としたアメリカではありません。

 また、古い工業時代を今から再開しようとする中国、ブラジル、インドでもありません。

 成熟した工業時代の終焉のあと、創造的な文化を大衆的に作り出すことのできる日本なのです。

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日本の未来の見取り図(4)―フリーエージェント社会という新しい内需 as/1053.html
森川林 2010/10/24 09:01 
 堅い話が続きますが、もうしばらくおつきあいください。(6)まで続く予定です。(^^ゞ 全部読む時間がない方は、太字の箇所だけお読みください 。

 子供たちの勉強を考える場合、数年先の受験を考えるとともに、数十年先の日本の未来も考えておく必要があります。 そして、日本の未来とは、実は世界の未来の最先端なのです。



 アメリカの新しい産業と思われていた金融工学はバクチ化しました。また、金融工学産業は、もともと何の創造もないゼロサムの産業でした。

 IT産業はこれからも発展しますが、これはITという新しい産業分野における古い工業社会の再生でしかありません。

 かつての自動車産業で寡占化が進んだように、IT産業も寡占化が進む進み、しかもデジタル的産業であるためにその速度は極めて速いものになっています。

 マイクロソフトやグーグルのように、もとは小さな企業が一挙に巨大な企業に成長し、そのサービスが行き渡るとその社会的役割を終えるようになります。

 IT産業は、今はまだ創造的な面がありますが、やがて道路や電気・水道・ガスなどの社会的に重要ではあるが目立たないインフラになっていきます。

 例えば、今の日本で、「どんな山奥の村にも電気を送る」ということに情熱を傾ける人がもういないように、IT産業を世界的に支えてきた夢と情熱はもはや半ば終わりつつあります。

 このように、大企業の時代が終わり、金融工学産業とIT産業の時代が終わりつつあるアメリカで、今静かに広がろうとしているのがフリーエージェントの社会です。

 企業に勤め、朝から晩まで忠誠を尽くし、その代償として年功序列と生涯雇用を保証されるというかつての古きよき時代は終わりつつあります。それは、そういう組織的人間を必要とした大企業の時代が終わりつつあるからです。

 大企業の時代が終わりつつあるのは、そのような大企業を必要とした大量の工業製品を需要する物の経済拡大の社会が終わりつつあるからです。

 確かに、まだ中国、ブラジル、インドなど巨大な人口を抱えた国々がその工業社会に入りつつあるので、一見、経済発展の中心がそれらの国々に移行しているように見えます。しかし、それは動いているマネーが巨大になっているだけであり、そこに新しい未来の指針はありません。

 アメリカのフリーエージェント化を推進している力は、自分らしく働きたいという欲望です。これが、これまでの豊かな消費を楽しみたいという欲望を経済の動因とする社会と質的に違うところです。

 何のために働くのかという動機が、給料をもらって豊かな消費生活をするためではなく、働くことを通して自己実現したいということに変わっているのです。

 今のように就職難とリストラの広がる社会では、働くことによる自己実現は夢想のように見えますが、社会の本当の底流はその方向で動いています。

 アメリカのフリーエージェントを構成する自営業者の割合は、全就業者の1割に満たない数ですが、しかし既に社会を支える重要な地歩を占めています。

(フリーエージェントの割合は、「U.S. Economic Account」の「Table 6.7D. Self-Employed Persons by Industry」によるものです。しかし、「フリーエージェント社会の到来」を著したダニエル・ピンクによると、アメリカにおけるフリーエージェントは、全就業者の4分の1で約3300万人と言われています。これはフリーエージェントの定義の仕方の違いによるものと思われます。2010/10/27追加)

 ひと昔前であれば、自営業は大きい企業になる前の過渡期の形態とみなされていました。もちろん今でも自営業者の中には、いずれ規模を大きくしてゆくゆくは上場できるようにしたいと考えている人もいるでしょう。

 しかし、アメリカにおけるフリーエージェントの割合がほぼ一定になっていることを見ると、自営業はそれ以上の成長に向かうより大きな企業への過渡期の姿ではなく、自営業であることをその企業の目的の重要な属性として持つものであることを示しています。

 その目的とは、豊かな消費生活を送ることではなく、自分らしく働くことです。

 アメリカの自営業の中で最も安定しているのが三つの分野です。

 第一は、専門的知識や技術を伴う企業サービスの分野で、この自営業者の人数は約200万人、この分野の全就業者の約20%を占めています。

 第二は、教育、健康などの社会的アシストの分野で、同じく約100万人、10%を占めています。

 第三は、その他で、同じく100万人、10%です。

 わかりやすく具体的に言えば、個人でも始められるような、会計コンサルタント、法律コンサルタント、医者、個人の家庭教師、健康ヒーリング業などが、アメリカのフリーエージェントの中心になっています。

 フリーエージェントとして分類されるものには、このほか、農業、建築業、タレント、芸術家、著述業、外食産業、コンビニ経営などもありますが、今の不況下でも減少せず、企業に勤めるよりも高収入を維持しているのは、前述の三つの分野です。

 ここまで読んで、多くの人は、そういう仕事につけたらいいなあと思ったと思います(笑)。もし確実にそうなれる展望があるなら、そのために、貯金を全部はたいても、借金をしてでも取り組みたいと思った人が多いと思います。

 そうです。フリーエージェントとして働きたいという欲望が、豊かな社会のあとに来る、これからの社会の大きな需要になってくるのです。

 フリーエージェントになるために専門的な知識や技能を身につけたいという「修行」と「起業」が先進国の新しい内需となり、その内需に応える産業が次々と玉突き現象的に誕生してくるというのが、先進国における経済発展の未来図です。(つづく)

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森川林 20101027  
 フリーエージェントの割合が全就業者の1割だという点について、次の説明を追加しました。
====
(フリーエージェントの割合は、「U.S. Economic Account」の「http://tinyurl.com/24yz8co" target="_blank">Table 6.7D. Self-Employed Persons by Industry」によるものです。しかし、「フリーエージェント社会の到来」を著したダニエル・ピンクによると、アメリカにおけるフリーエージェントは、全就業者の4分の1で約3300万人と言われています。これはフリーエージェントの定義の仕方の違いによるものと思われます。2010/10/27追加)

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日本の未来の見取り図(3)―フリーエージェント社会 as/1052.html
森川林 2010/10/23 05:43 


 日本の社会がこれから創造する内需の中身のひとつは修行(自己の向上)でした。もうひとつは、起業です。

 アメリカは今では自由なベンチャービジネスの社会だと思われていますが、1980年に入るまでは、律儀なオーガニゼーション・マン(組織的人間)の時代でした。

 会社は従業員の雇用を保証し、従業員は会社に忠誠を誓い、毎日定時に出社し、退屈な仕事をきちんとこなし、同じ会社に何十年も勤めることによって、次第に安定した豊かな生活を送れるようになる、という価値観の時代でした。

 日本はアメリカよりも10年遅れていると言われますが、2000年代、小泉政権時代の自由競争主義の導入前は、やはりオーガニゼーション・マンの時代でした。

 アメリカは、企業がそれまでの温情主義を捨てて、従業員のレイオフに踏み出した1980年代は、IT産業が花開いた時期であり、その後に続く金融工学革命の幕開けの時期でもありました。そのため、アメリカは大企業中心の社会からベンチャービジネスの可能性のある社会に進化しました。

 一方、日本は自由競争社会の道を開いたものの、新しい産業という受け皿がなかったために自由競争は、大多数の日本人にとって雇用の不安定化と生活の破壊を生み出しました。日本は、アメリカのようなITや金融という新しい産業がない中で自由競争に踏み出したため、その自由化は少数の富裕者と多数の貧困層のますます広がる格差を生み出すことになったのです。

 しかし、大企業中心の組織的人間の時代はもう戻ってきません。それは経済の性質が変わってしまったためです。

 つまり、先進国では大量の工業製品を需要する、豊かさを目指す社会が終わりを告げたために、その需要に対応していた大企業中心の組織的な大量生産の時代が終わったということです。

 現在、そういう豊かさを目指しているのは、中国、ブラジル、インドなどの成長途上国で、これらの途上国の人口が著しく多いために、経済の覇権が移りつつあるかのような印象を受けますがそれは錯覚です。

 これらの国では経済の拡大が進んでいるので、動いているマネーば巨額ですが、それはアメリカや日本で既に終わった過去の祭りがただ規模の大きくなった人口で繰り返されているだけです。そこには、新しい時代の指針となるような創造性はありません。

 これを象徴する一つが万博です。1970年の大阪万博の入場者は6400万人でした。2010年の上海万博の入場者は、7千万人から8千万人になると言われています。しかし、これは量で比較する性質のものではありません。万博の社会に対する影響力の質が既に違ってきているのです。

 一方で古い形の経済発展を始めようとする巨大な新興途上国、他方で古い経済発展が終わったものの新しい産業が見出せない老いた先進国、という二つの世界が併存しているのが現代の構図です。

 しかし、老いた先進国にも新しい産業の芽は育ちつつあります。それがフリーエージェントの社会です。(つづく)

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勉強よりも読書と対話 as/1051.html
森川林 2010/10/22 12:56 


 小学校低学年の子供のお母さんで、勉強の重点というものを勘違いしている人がかなりいます。

 その原因の一つは、学校です。

 まず学校で、訳のわからない宿題を出すところがかなりあります。例えば、小学校2年生までの子に、本を読んでの感想を書かせる宿題を出すなどという勉強です。

 子供をよく見ていれば、その勉強が苦痛かどうかはすぐわかります。子供が苦しんでやっている勉強なら、それは無理があるということです。そういう勉強は、やらないのがいちばんです。

 小学校2年生の感想文は、みんな親が手を加えています。そういう宿題は、最初から子供にやらせずに親が書いてあげればいいのです。子供の実情を知らない学校の先生に合わせる必要はありません。

 感想文を書かせる時間があったら、その時間を楽しい読書や親子の対話の時間にあてた方がずっといいのです。形に残るものだけが勉強ではありません。

 もうひとつの原因は、親の多くが、低学年の勉強があとあとまで影響すると思っていることです。

 小学校3、4年生までは、親がついて勉強させれば必ず成績は上がります。しかし、その成績にはあまり意味がありません。小学校中学年までは、そんなに熱心に成績を上げても仕方ないのです。それよりも、読書や対話で考える力をつけていくことです。

 学校の勉強も、小学校5年生ごろからは考える勉強が中心になります。本当に実力の差が出てくるのは、このころからです。考える勉強が中心になると、それまで勉強で成績を上げてきた子供よりも、読書や対話で考える力をつけてきた子の方が成績が上がってきます。

 頭をよくしておけば、英語なども中学生に入ってから十分間に合います。同様に、数学についても小学生のころまでは普通でも、中学生になってからがんばればすぐに成績は上がります。大事なことは、成績をよくしておくことではなく、頭をよくしておくことです。

 低学年から勉強をさせすぎるいちばんの問題は、子供に勉強だらだらやる習慣をつけさせてしまうことです。

 小さいころから成績をよくして自信をつけさせておいたほうがいいと考えるのは、親に自信がないからです。つまり、親が自分で勉強して力をつけた経験がないから、早めに自信をつけさせたいと考えるのです。

 今は、ひとりっ子の家庭が多いので、親はどうしても自分の子供と学校の成績しか見られません。しかし、本当の実力はその成績の中にあるのではなく、子供の考える力の中にあります。

 考える力が、最もはっきり出てくるのは作文です。作文がうまいかどうかということではなく、楽しんで書ける子であれば、教科の今の成績がどうであれ、心配はいりません。

 しかし、作文の課題によって、「難しい」とか、「わからない」とか、「やりたくない」とか、「長く書けない」などと言う子は、今の学校の成績がどうであれやはり実力不足です。

 しかし、心配はいりません。そういう実力不足の子が大多数だからです。

 そういう子供たちが、毎日の暗唱や問題集読書などで少しずつ長く自分らしい文章を書けるようになってきます。これが作文の勉強です。

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