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12月の森リン大賞(中2・中3の部) as/1137.html
森川林 2011/01/23 11:34 





12月の森リン大賞(中2の部68人中)

言葉の重要性
チョコ

 何をするにしろ、どうしたら失敗するか、ということを知っていて失敗することはめったにない。そこで、次に同じことをするときに、「また失敗するかもしれない」と思うと、ほんとうに失敗してしまう。「失敗は成功の母」といわれるように、失敗を重ねることによって、次第に成功に近づいてゆくのが脳の自然の働きだ。ところが、失敗を恐れると、脳も人間も発展しないのだ。もちろん、「今度は絶対に成功するぞ」と思い込んでも「失敗した」らたいへんだ」ということには負けてしまう場合がある。成功した経験がないと、「成功」ということばでは脳は成功に向かってはたらかないからだ。どうしたら成功するかは、本人にも自覚されていないが、以前に成功した経験があると、その時の脳のはたらきがひとりでに進行して、成功を重ねることになるのだ。この文章は千葉康則さんが書いた「ヒトはなぜ夢を見るのか」の一部である。千葉さんはこの文章で、人の言葉がその後の行動にどう影響するかということを述べている。その言葉とは良いものなのか、悪いものなのか。

 まず良いものだという意見。理由は、自分に自信がついたり、モチベーションが上がる時があるからだ。私は今年の九月に英語のスピーチコンテストに参加した。自分で決めた文章を、三分以内に暗唱するというルールだった。夏休み中は覚えるための音読がとても大変だった。なぜかというと、声に出す音読だけでなく、心の中での音読もしたからだ。ある日は、「三分以内に音読する!」。そしてある日は「五位くらいまでに入賞する!」。心の声は大きくなるばかりだった。果たしてこの音読の効果はあったのか。それがもうアリアリだったのだ。そのおかげで発表直前に、今まで心の音読をしてきたすべての言葉達が頭の中でぐるぐる回転して、不安な私に自信を与えてくれたのだった。だが結果は、三分以内も五位入賞も果たせなかった。とても残念だったが、発表直前にあったことがなかったら、もっと他にも果たせなかったことがあったと思う。

 次に、悪いものだという意見。理由は、もう駄目だという在りもしない結果を言葉にしてしまって、その結果にしようと体が態勢を整えてしまう時があるからだ。私は陸上部に所属しているにも関わらず、陸上関係のほとんどが苦手だ。学校の体育の授業で走り幅跳びをした。これも私の苦手なものの一つだ。他の陸上部の子はもちろん、運動部の子のほとんどが三メートルを超えていたのが普通だった。二メートル台というと、吹奏楽部などの文科系の部活に所属する人が多くいた。私は陸上部だというのにその域にいた。恥ずかしかったが、私はすぐに開き直った。なぜかというと、自分は幅跳びが嫌いで苦手だということを知っていたからだった。そうやって決めつけていたからだった。いつも幅跳びの時間になると、「どうせ」という言葉が頭の中で響いている。だから心が開き直るのを見た体も開き直って、私を二メートル台に跳ばせていたのかもしれない。

 行動に影響する言葉は良くも悪くもある。一番重要なのは、人間が言葉をプラスかマイナスかの方向に選ぶことによって、行動もプラスかマイナスかの方向に左右するということを、私たち人間が知っておくことだ。「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである」。その「時と場合」とは、言葉のことだ。『うさぎとかめ』のうさぎのようにプラスの言葉を考えていたとしても、結果はマイナスになってしまうこともある。全てが言葉で結果が決まると思ってはいけないということを、私達もこのうさぎも思い知った。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1言葉の重要性チョコ85148156698280
2個人意識と地球意識たけたけ85104357787590
3いいえと言えるか言えないかなまず大使85132864586690
4プラス面を増やそう!まりい84106156627887
5私と我々ひよこ84101362677786
6言葉と行動さくら84123256647496
7朝寝坊サッカー83111054638284
8言霊柏もち83106259647095
9経験とことばきやの82100851697392
10二つの利益フェアリー82111253637086



12月の森リン大賞(中3の部53人中)

我愛する。故に彼と我あり
ハーマイオニー

 現在、新聞、テレビ等のメディアでは、中国の人名・地名は日本語の漢字の読みで伝えられる。中国国内でも同様に日本人の名前も中国の読み方をする。それに対して、韓国・朝鮮の名前は現地での発音どおり、もしくはそれに近い読みをカタカナ表記するようになっており、あちらでも同様である。これは、それぞれの国との話し合いでそういうことにしているらしい。このように、漢字の文字とカタカナの音が分かれる場合、紙の上だけの関係であれば文字で済むが、愛を伴った関係であれば、相手の名前を正しい音で呼ぼうとするのではないか。

 私は、自分のつかう言葉に愛を込められるような人間になりたいと思う。そのためには、具体的にどうすればよいだろうか。考えられる方法としては2つあると思う。

 第一に、当たり前だが、相手の名前など、大事なことは忘れないようにすることだ。ただ、当たり前と言っても、これは容易なことではない。社会生活を送る中で、人は、毎日多くの人間に出会うだろう。その立場や職業によって、相手人数の多寡はあるだろうが、何かしら他人と交流し、あるときは共に、またあるときは競って活動することになるはずだ。そういった場合、相手のフルネームを知っているのと、知らないのとでは、全く印象が変わってくる。相手を知りたいと思う気持ち、相手への興味の度合いは、すなわち、相手への愛情である。私もそうだし、誰もがそうだと思うが、「かっこいい」「かわいい」「すてき」「おいしい」「おもしろい」など、自分にとって好ましいと思える人や物は、その名前をすぐに覚える。たとえ、ビジネスマンがそのような必要に迫られて取引相手の名前を覚えるとしても、やはり同じことだと思う。名前を覚えることは、まずその対象への最初の関心の表現ではないか。そこから愛ある人間関係がスタートするのだ。

 第二に、国際交流、異文化交流の場においても、いや、そのような場において特に、相手の国や文化を尊重することが大事になるだろう。田中角栄は、人の名前を覚える天才だったそうだ。彼が大蔵大臣だった時代に、大蔵省に入省した野口悠紀雄氏は、新人全員の名前を、メモも見ず、他の職員や秘書にも聞かず、すらすらと呼んだという田中大臣の逸話を披露していた。当然、これは若い職員たちの心をとらえた。田中角栄の仕事には、功も罪もあろうが、このような彼だからこそ、大胆かつ繊細な外交政策を可能とし、日中国交正常化を成しえたのではないか。今日の中国との関係を考えると、彼の政治から学ぶことは少なくないと思われる。

 確かに、言葉を記号として扱うようなドライなやり方の方が効率がいいかもしれない。人を名前で呼ばず、番号を付けて処理するような発想は、コンピューター上では役に立つだろう。しかし、人間であれば、言葉に愛を込めることができるはずだし、そのような生き方が必要であると思う。「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである」という言葉がある。人間もまた、外から眺めていればいいのではなく、自分と相手が愛情を持って交流するからこそ、相手の存在も、また自分自身の存在も生きてくるのだ。デカルトの言葉になぞらえれば、「我愛する、故に彼と我あり」である。


順位題名ペンネーム得点字数思考知識表現文体
1我愛する。故に彼と我ありハーマイオニー961334771009886
2違いの理解だるまー90127362728592
3死に対する意識ちえのわ88204072697690
4日本語の曖昧さトウモロコシ87161164627790
5untitled(^ω^#)ピキピキ86191768627387
6名前の重要さむさし85104263718387
7意思かはふ85107962768181
8自分の意見を持つこと嵐ちゃん85140258607287
9気持ちを込めてさえピ8296454697887
10言葉に愛を込めるえむや81105453778492


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少し汚れを残しておく掃除、山頂をめざさない山登り―知のパラダイム(その6) as/1136.html
森川林 2011/01/22 20:00 


 インドや中国では、無の哲学は、宗教や思想という形で残りましたが、文化という形ではほとんどなくなってしまいました。

 これに対して、日本では、無の哲学とともに、無の文化も生活の隅々にまで浸透し、生きた形で残っていました。それは、日本が外部から有の文化を持った異民族に侵略されることがなかったからです。

 有の文化と無の文化の対比は、庭園の作り方などに、目に見える形で表れています。ヨーロッパの庭園は、人間という主体が自然という対象に対して、人間の意図を貫徹するという形で構成されています。フランスの庭園などに見られる直線と左右対称性は、そこに人間が介在したという証拠を残すために作られたかのような印象を受けます。人間が自然を人工的に加工するというのが、有の文化における庭園です。

 これに対して、日本の庭園は、非直線、非対称性で構成されています。人間という主体をあくまでも無化して、自然が自ら造形したような庭園であることが、庭園の理想なのでした。利休は、客人をもてなすとき、落ち葉ひとつなくきれいに掃除された庭を見て、近くの木を揺すり、枯れた葉を再び庭に散らしたそうです。

 中国の道教の修行に行った森田健さんの話では、道教のグループは、近くの山に登ったとき、山頂まであと少しというところで、山頂までは行かずにそのまま山を下ってきたそうです。自分という主体が、山頂という対象に向かうと考えるのが有の文化です。山頂という目的ができたとき、登山はそのための途中の過程に過ぎなくなります。すると、山に登ることは、できるだけ速く、できるだけ能率よく登るための手段になります。有の文化は、能率の文化です。

 ところが、老子はそう考えません。自分は、山に登る前も、登っている途中も、登り終えたあとも、常にそのときどきの状況にある山との関係で完全な存在であると考えるのです。登山という目的との関係において、まだ山頂に立っていない自分が不完全だとは考えないのです。

 自分が、自分以外のもの、つまり自分の無との関係で成り立っていると考えるのが無の哲学です。山頂もまた、独立したひとつの対象ではなく、山頂以外の山腹や山麓によって初めて存在するものであると考えると、山腹も、山麓も、更には山を降りたあとの平地もまた山頂であり、山頂は求める対象ではなく、山頂を構成する無との関係としていつでも常にそこにある対象なのです。

 道教のグループは、山に登っている途中に、こんなややこしいことを考えながら登ったのでではないでしょう。しかし、老子の唱えた無の哲学を実際の体験を通して学ぶために、山頂まで行かずに戻るという行動をとったのだと思います。

 ある物は、その物以外との関係で存在します。これを更に普遍化すれば、有は、有以外のもの、つまり無との関係で存在するということになります。だから、有の本当の姿は無にほかなりません。これがインドや中国や日本で生まれた無の哲学です。

 無や空といっても、一般に思われているようなとらえどころのない抽象的な観念なのではなく、有る物にとってのその物以外のすべての世界が無や空で、その物の本質は、その物の中にあるのではなく、その物の外、つまり無や空とのつながり方にあるというのが無の考え方なのです。(つづく)

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森川林 20110124  
 おいおい、宣伝に使うなよ(笑)。

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