2月3日(木)、東京でセミナーがあったので、片道1時間、手持ちぶさたにならないように本を2冊持っていきました。
行きは、吉田松陰の「留魂録(りゅうこんろく)」を、帰りは、「下流社会」(松田展著)を読んできました。
電車の中では付箋読書はしにくいので(するときもありますが)、シャーペンで線を引きながら読んでいます。あとで、この線を引いた箇所だけ読み返せば、2回読んだのと同じです。読んだ本の定着度が、かなり違ってきます。
さて、東京でのセミナーの内容は、「Web戦略をどう進めるか」というような内容のものでした(本当のタイトルは、少し違いますが)。2005年ごろのWeb状況と今の状況は、大きく変わっているという話を聞いてきました。例えば、今、習い事を探すのに「ケイコとマナブ」を見るような人はいず、すべてインターネットになっているというようなことでした。
言葉の森のWeb開始は、1996年ですから、インターネットの本当の黎明期です。当時は、Yahoo!の学習塾というカテゴリーに、数えるほどのサイトしかありませんでした。言葉の森のサイト開設は、たぶん学習塾のようなところではいちばん早かったぐらいだと思います。
Webを動的なページにするために、PHPとMySQLで全ページを作り直したのも、言葉の森が最も早く、コンピュータの専門の業界の人から、「今度うちの会社もウェブデータベースを入れようと思うのですが、言葉の森は、なぜMySQLにしたのですか」という質問があったほどです。(当時、MySQLは少数派でしたから)
その後、プログラミングを独学で勉強し、調子に乗って作文の自動採点ソフトを作り、やがてソフトの特許も取得しました。また、言葉の森のホームページをブログ仕様にしたのも、まだブログが普及していなかったころです。
しかし、そのように先進的に取り組んでいたインターネットにも、だんだん飽きてきて(笑)、今いちばん関心を持っているのは、人間の知的能力の開発についてです。そのため、インターネットの開発の方は、あまり手をかけなくなりました。その結果、現在の言葉の森のサイトは、ごちゃごちゃしてかなり見にくく、動作も不十分なものが多くなっています。いずれ時間をとって、もっとすっきりしたものにする予定です。(^^ゞ
東京のセミナーで聞いたことは、「これからは、SEOではなくSGOだ」ということでした。(SEO=サーチ・エンジン・オプティマイゼーション。SGO=ソーシャル・グラフ・オプティマイゼーション。グラフとは、人間どうしの関係の図のようなもの)
これは、私もかなり前から思っていたことで、これからは宣伝のよしあしよりも、やはり本物が生き残るというという社会になっていくのだと思いました。
しかし、ソーシャル・グラフというと、人間どうしのコミュニケーションの得意な人が活躍しそうな気がしますが、そういう状態は初期のうちだけです。
人間が他の人間になぜ関心を持つかというと、その相手がおもしろいことを言うからです。おもしろいことというのは、独創性や創造性のあることです。その独創性や創造性が基本にあって、そのあとそれを補強するものとして、コミュニケーションのリテラシーがあるということです。
作文も同じです。表現力というのは確かに大事ですが、それはあくまでも表現する当の内容の価値を伝える手段であって、表現力そのものが価値あるものなのではありません。
というようなことをふと考えました。(つづく。次回は「留魂録」と「下流社会」について)
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第三の違いと第五の違いの間で、第四の話が抜けていました。
第四は、小学校1年生から、高校3年生までの長期間の展望を持って作文指導をしていることです。
言葉の森は、もともと大学生の文章指導の教室からスタートしました。それを、高校生や中学生や小学生の作文指導にも広げていったのです。ですから、最初のころの小学生の指導は、かなりレベルの高いものでした。小学校4年生のぐらいの子に、今の6年生が勉強するのと同じようなことを教えていました。しかし、当時の子供たちはなぜか、どの子も文句を言わずに勉強していました。
今、学校や他の国語教室などで教えている作文は、その学年で上手に書くことを目的にしたものが多いと思います。小学生が、小学生のときに上手な作文を書くことももちろん大切ですが、もっと大切なのは、中学、高校に進んだときに必要な力をつけていくことです。
わかりやすい例で言うと、生活作文における情景や心情の描写力は、小学生のときには高い評価を受けますが、中学生や高校生になったときに書く意見文や論説文の文章ではあまり書く機会が出てきません。意見文や論説文で重要になるのは、社会実例を幅広く入れる力や、自分の意見に対する反対意見を考える力などです。
一般に、女の子は、会話やたとえや心の動きなどを上手に書くことができます。男の子は、そういうことにはあまり関心がなく、それよりも、数字や名前など堅い説明を書くことに関心を示します。これは、文章力の差ではなく、興味や関心の差なのですが、小学校の間は、女の子的な作文の方がずっと高く評価されます。
しかし、言葉の森では、中学生や高校になったときの展望があるので、数字や名前や説明中心の味気ない男の子の作文にも、将来優れた意見文を書く素質があることを見抜きます。学校の先生やお父さんやお母さんが、決して上手だと思わないような作文の中に、実は将来伸びる可能性があるのを見ることができるのです。(おわり)
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東工大の後期の小論文入試の過去3年間の問題は、次のようなものでした。(テーマのみ。実際の問題は100-300の短い文章や図)
○2010年「河川管理のあり方(災害防止と環境整備について)」
○2009年「経済成長率と人々の信頼感の関係」
○2008年「食品産業での偽装の社会的背景と対策」
これらのテーマを見ると、その話題について何らかの予備知識がないと書けないような気がします。
取り上げられた課題は、その年の主要な時事問題と絡んでいますから、予備知識の対策が立てられないわけではありません。しかし、受験生が日々のニュースに関心を持ち、新聞を読むというような余裕はまずありません。まして、関心のある時事的な話題について、自分の考えを深めるために参考になる本を読むというようなことは通常はありません。予備知識がある人は、たまたま偶然その話題に関する知識があったというだけでしょう。
では、なぜこのような予備知識の有無によって出来具合が大きく違ってくる小論文課題を、大学側は出題するのでしょうか。それは、後期の試験での選抜の基準を次のように考えているからだと思います。
| 予備知識ある | 予備知識ない |
文章力ある | ◎ | △ |
文章力ない | × | × |
つまり、本当は文章力(思考力)のある生徒を採用したいのですが、予備知識の有無にかかわらず文章力のある人を選抜するのは大変なので、予備知識のある人の中で文章力のある人を選抜するようにしたということです。だから、文章力はあるが予備知識のない人(△の人)は、実力はあるが合格しなくてもやむをえないということです。
こうなると、予備知識をつけるための勉強を今からしなければならないかという気がしてきます。実際に、過去問の載っている赤本の解説にも、「様々な社会問題について関心を持とう」などと書いてあります。しかし、受験生が様々な社会問題に関心を持っている余裕はありません。
ところが、これらの課題は、実は小論文の力がある人であれば、予備知識はほとんどなくても書けるのです。それは、与えられたテーマを立体的に考え、構成的に書く方法によってです。
例えば、河川管理のあり方についてであれば、災害防止と環境整備の割合を(1)過去、(2)現在、(3)未来にわたって論じ、そのそれぞれについて背景や対策を考えるというような書き方です。
経済成長率と信頼感の関係では、(1)成長率が高く信頼感が高い国、(2)成長率が低く信頼感が低い国の原因分析を中心に、(3)成長率が低いのに信頼感が高い国、(4)成長率が高いのに信頼感が低い国の分析を行っていくことです。このように論点を4つぐらいに分けると、1000字ぐらいの小論文を書く見通しが立ちます。1000字120分という枠ですから、文章力のある人であれば、字数も時間も比較的余裕があります。
食品産業での偽装については、考えられる原因を、(1)途上国の追い上げ、(2)内部告発意識の高まり、(3)顧客志向から利益志向へ、(4)保存加工技術の進歩など4つぐらいに分け、そのそれぞれについて250字ずつ書いていけば1000字の小論文になります。
このように、本当に考える力があれば、予備知識がなくても、構成のはっきりした小論文を書くことができます。構成が明確で、わかりやすい小論文であれば、予備知識の裏づけがなくても合格圏内に入る文章を書くことができます。更に、表現力のセンスがある人でしたら、考え方の光る意見を書くことができます。これで合格の確率はかなり高まります。
小論文対策は、予備知識をつけることよりも、普段から考える力をつけ、表現力をつけておくことなのです。
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