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作文は、発想を変えれば楽しく勉強できる!(生徒父母向け記事) as/1186.html
森川林 2011/03/04 14:55 


 家庭での作文の学習を続けていると、なかなか思ったように勉強が進まない、と困る場面が出てきます。そういうときの対処法をご紹介します。

親の負担が大きいので大変という場合

 問題を解くような形の勉強であれば、子供がある程度自主的に進めていけます。しかし、作文の場合は、そういう問題-解答形式の勉強ではありません。毎日、読書や暗唱などの読む自習を行い、毎週、自分で考えて作文を書くということで力がついていきます。(ほかの作文教室の中には、問題-解答形式で作文の勉強を指導しているところがありますが、そういう形では作文力はつきません)

 一般に行われている従来の勉強は、知識や解き方を学ぶという勉強です。そういう勉強は、勉強の仕方を塾に任せ、子供が与えられた課題をやっていれば力がつきます。国語と作文は、そういう形の勉強ではありません。

 国語は、毎日読む学習を続けることで、作文は、自分で考えて書くことで力がつきます。そのために、次のように勉強に対する発想を変えて取り組むことが必要です。

「対話をする勉強」と発想を変える

 作文は、親子の対話を楽しむ形で進めていく勉強です。これは、小学生には特に重要です。小学校1、2年生は自由な題名ですから、毎週授業の始まる前に、「今週はどんなこと書くの」と子供に聞き、親が子供と作文に書く内容について話をします。また、書いた作文が返却されたときも、その作文の内容について家族で対話をします。この際、決して欠点を指摘して直すようなことはしないでください。欠点は、読む力がつく中でほとんど自然に直ります。欠点を指摘すると、作文を書くことが億劫になります。対話は、いつも楽しい雰囲気で行ってください。この対話のときに大事なことは、お父さんやお母さんの子供時代の似た話などをたくさんしてあげることです。そのときに、子供には、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするようにします。この対話によって親子のコミュニケーションが豊かになるとともに、子供の頭がよくなります。

 小学校3、4年生の場合は課題が決まっているので、親子の対話は更にしやすくなります。次の週の課題を見て、お父さんやお母さんが似た話を子供に聞かせてあげてください。場合によっては、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに取材してもよいでしょう。また、作文が返却されたときも、親子でその作文を話題にして話をするようにしましょう。この場合、やはり大事なことは、欠点を指摘して直すようなことはしないということです。作文はできるだけよいところを見て励ますようにしてください。

 
 こういう形で小学校中学年までに親子の対話の習慣を作っておくと、その親子の関係はあとまで続きますし、その対話によって子供の頭がよくなります。理解力や思考力は、問題を解くような形の勉強では身につきません。対話と読書によって最も確実に身につくのです。ですから、対話のときは、楽しい雰囲気で、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするように心がけてください。

 小学校高学年や中学生になると、子供が自分の作文を親に読まれるのを嫌がる面が出てきます。その場合は、作文ではなく、課題の長文をもとにして対話をしていきましょう。課題の長文は、ホームページでも読むことができますから、事前にお父さんやお母さんもその長文に目を通しておくとよいでしょう。

 課題の長文をもとにした対話は、次のような形で進めることができます。まず、子供に、次の週の課題がどういう内容か説明させます。そのためには、子供が事前に長文を読んでおかなければなりません。題名だけの課題の場合は、子供がどんなことを書くつもりか考えておかなければなりません。この子供に内容を説明させるということが、子供の思考力と表現力を育てる勉強になります。子供に説明させたあと、親がその課題についての関連する話をしてあげます。親の話を聞くと、子供が自分の経験を通して考えただけの作文よりも話題が広がり、感想も深まります。

 このように、作文の勉強は、そのほかの勉強とは違い、対話を楽しむ勉強だと発想を変えて取り組んでいってください。小学校高学年になると、普通の家庭ではどこでも親子の対話は少なくなります。特に、お父さんは子供との日常的な接点があまりないので、対話をするとしても勉強や成績のことばかりになりがちで、ますます対話が難しくなります。ところが、作文の勉強を通して話をすることによって、親子が毎週知的な対話を楽しむ習慣ができるのです。

 作文は親の負担が大きくて大変だと考えるのではなく、親子の対話を楽しむ機会になるのだと考えて取り組んでいってください。(つづく)

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幼児教育の理論と方法について(その2) as/1185.html
森川林 2011/03/03 12:46 



 幼児教育の本質をひとことで言えば、インプリンティング(刷り込み)の教育だということです。ここから出てくる最も重要な条件は、バランスを重視しなければならないということです。学齢期の教育のように、何かを付け加える教育であれば、あとから修正することは容易ですが、インプリンティングの教育のように、枠組みを作る教育は、いったん作られるとあとから修正することがきわめて難しくなります。生まれたばかりの雛鳥は、最初に目についたものを親だと認識して、それが犬や猫であれバケツやヤカンであれ、自分が親だと考えたもののあとについていきます。同じことが、程度の差はあれ人間の幼児期についても言えるのです。

 だから、幼児期には何でも吸収できるからということで、ある特定のことを吸収させると、それは幼児の人間形成の中にその特定の枠組みを作ってしまうことになります。単に付加された知識であれば、他の知識と共存することができますが、いったん作られた枠組みは、他の枠組みを排除するので、よりよいものに取り替えるということができません。この枠組み形成が、その子供の個性を作り出します。

 ここから出てくるもうひとつの重要な条件は、幼児教育はその子の個性に応じて、個性的に行われる必要があるということです。しかも、その個性は、単にいくつかのパターンがあるという予測可能な個性ではなく、本質的に予測不可能な面を持っています。だから、幼児教育は、その子と密着した母親又は父親によって、常に軌道修正を行いながら進めていく必要があるのです。

 本質的な予測不可能性ということから、教育の逆説というものも生じます。人間は、最良の条件だからといって最良に成長するわけではありません。逆に、最悪の条件にもかかわらず最良に成長することもあります。では、なぜ予測不可能かというと、人間の成長は、線形の成長ではなく複雑系の成長だからです。砂山に砂を一粒ずつ追加していくと、いつかある一粒によって砂山が大きく崩れます。しかし、いつ、どの一粒でそうなるかはだれにも予測することができません。ある働きかけを行えばある結果が出てくるというだけでなく、その出てきた結果がもとの土台を変容させ、働きかけの効果を変容させていきます。幼児教育には、個性に応じたシミュレーションが必要になるために、その幼児と密接にかかわる両親が教育の主体になる必要があるのです。



 インプリンティングの教育とは、別の言葉で言えば、絶対感覚が育つ教育です。幼児は、単に何かを吸収するだけでなく、自分がこれから生きていく世界に適応するための自己形成を行っています。だから、幼児に与えられるものは、大人にとっては単なる教育であっても、幼児にとっては世界そのものです。

 幼児教育においては、何を学ばせたいかというよりも、その子供がどういう世界に生きてほしいかということを考える必要があります。例えば、ある知識を学ばせるときに、親が叱りながら教えれば、子供はその知識を吸収するだけでなく、自分がこれから生きる世界を「叱られる世界」として適応するために自己形成していきます。親が、子供に幸福な人生を歩んでほしいと思って教えることが、そのやり方によっては子供の絶対的な不幸感覚を形成することになるかもしれないのです。しかし、人間の成長は複雑系の成長ですから、どんなに叱られてもたくましく生きていく子もいれば、ひとことの注意で深く傷ついてしまう子もいます。大事なことは、親が、子供の絶対感覚を育てているのだと自覚して教育を行っていくことです。



 こう考えると、これまでの幼児教育の中には、重大な錯誤に基づいているものもあります。

 例えば、幼児期の外国語学習です。外国語の枠組みを身につけることによって、母国語の枠組みが正常に育たない子供になる可能性があります。特に、日本語は、世界中の他の言語と比べて全く異質な母音言語という特質を持っています。英語圏の幼児がフランス語やドイツ語も習得するというのとは根本的に違います。日本語を母語として持つ幼児がどのようにして外国語もバランスよく身につけられるかということはまだ実験の段階にあることなのです。

 また、CDやビデオなど、機械を利用した学習にも問題があります。機械によって何かを吸収することを繰り返しているうちに、人間に適応せず機械に適応した子供になってしまうことがあるのです。テレビなどをつけっぱなしの環境で育てられた幼児は、人間的な感情を持ちにくくなると言われています。面白くなくても笑い声が聞こえ、悲しくなくても泣き声が聞こえるような環境が日常的にあれば、幼児は感情を遮断して生きることによってその環境に適応しようとするからです。

 また、実際の世界との関わりが希薄な中で行われる知識の教育にも問題があります。例えば、戸外に出て実際の花を見ながら、花にはめしべとおしべがあって、チョウやハチが飛んできて受粉するということを教えるのであれば、子供の世界は知識によって豊かに広がります。しかし、図鑑などで花の図を見せながら同じことを説明しても、子供の世界は豊かにはなりません。それどころか、そのような現実との関わりのない教育を繰り返していると、子供は、バーチャルな世界に生きることに適応するようになります。その子が成長して、戸外で花やチョウを見ても、その子にとっては、単に図鑑の説明が咲いていて、図鑑の説明が飛んでいるように見えるかもしれません。自然との関わりの中で喜びを感じるというのは、人間の幸福感の大きな要素ですから、知識だけの知識が先行することによってその幸福感の可能性が閉ざされてしまう可能性もあるのです。

 また、逆に言語を軽視した教育にも問題があります。人間の脳が進化の最も後期になって発達させたものは、言語を駆使する能力です。だから、言語能力を発達させることによって、言語以外のほかの能力も言語に引っ張られて発達します。先天的な心身障害を持つ子供が、幼児期からの言語教育で言語能力が発達するにつれて身体の運動能力も回復したという例があるというのはこのためです。

 幼児期の教育に自覚がないと、幼児は放任しておいても育つものだと考えがちです。その結果、小さいころは、まず体力をつけて、情操を豊かにして、のびのびと育てることだと思ってしまいます。そのこと自体はよいのですが、言語による教育は小学校に上がってからで十分だと考えて、言語的に乏しい環境で幼児期を過ごしてしまうと、言語以外の能力、つまり体力や情操も豊かに成長しなくなるのです。



 幼児期の教育は、子供の絶対感覚を育てる教育です。その子が、どういう世界に生きるかを選択して自己形成をするための教育です。

 だから、親は、子供がどういう世界に生きてほしいかという価値観を持って教育を行う必要があります。その価値観は多様ですが、大きく共通するものとして挙げられるのは、現実の自然のある世界で(バーチャルな世界ではなく)、人間とともに(機械とともにではなく)、言語を豊かに使って(腕力や雄叫びによってではなく)、愛情を持って(攻撃と防御に身構えながらではなく)、自由に創造的に(制限された柵の中でではなく)生きることだと思います。

 言葉の森では、今後、幼児教育に力を入れていく予定です。その際に、以上のような観点を持って教育開発を進めていきたいと考えています。

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幼児教育の理論と方法について(その1) as/1184.html
森川林 2011/03/02 21:13 


 「栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)し」という言葉があります。小学校1年生で学校に上がるとき、子供の能力には既に大きな差ができています。しかし、その差は先天的なものではなく、主に幼児期の教育によるものです。教育というとオーバーなので、幼児期の環境によるものと言ってもよいでしょう。

 もちろん、人間の成長は幼児期に決定されるものではありません。人間は動物と違い、成長してからも自分の能力を変容させる柔軟な可塑性を持っています。しかし、それでも、幼児期における土台の形成は、人間のその後の成長に大きな影響を及ぼします。

 幼児期の教育が重要だというのは、このような理由からです。



 さて、幼児教育について考える前に、教育というものの社会における役割について考えてみます。

 人間は、社会的に生きています。幸福な人生を送るためには、社会が個人の幸福を支えるものになっていなければなりません。

 ところで、現代の社会では、社会の最も主要な枠組みは、国際社会でも地域社会でもなく国家社会です。日本に生きている個人は、日本の国家全体が幸福になるのに比例して幸福になっていきます。

 日本の国家をよくするために最も重要な役割を担っているものは政治です。政治がビジョンと実行力を持てば、日本はたちまちよい国になります。しかし、今の政治は、ほぼだれもが認めるように、また国際社会でも認められているように、ビジョンにも実行力にも欠けています。

 こういう政治を許しているのは、私たちの世論です。その世論を形成する中核となっているものは、マスコミです。つまり、日本のテレビと新聞が、日本人の民度を低くしているのです。その方法は、ひとことで言えば、肝心でないことには正しい報道をするが、肝心なことについては報道をしないというものです。だから、日本人の大多数が知的でありながら、その知性に匹敵しない政治が存続しているのです。

 では、なぜこのようなことが行われてきたかというと、それはマスコミのトップが腐敗させられているからです。日本のマスコミは、多数の良心的なジャーナリストにもかかわらず、肝心なことについては真実を報道しないという体制で運営されています。

 しかし、現代は、マスコミを超えた情報ネットワークが次々と生まれている時代です。これからの社会に必要なのは、多様な情報を取捨選択する能力と意志を持った個人が増えていくことです。

 そのためのひとつの役割を担うものが教育です。これが、教育の社会における役割です。教育は、個人にとっても価値あるものですが、それと同時に社会にとっても価値あるものなのです。

 バランスのとれた教育がバランスのとれた世論を生み出し、その世論がビジョンと実行力のある政治を生み出し、その政治が豊かな社会を生み出し、その社会の上に個人の豊かな可能性が開花するというのが未来の日本の姿です。

====3/5に追加した分====

 話は脱線しますが、では、マスコミが真に国民の利益を考えたマスコミになるためにはどうしたらよいのでしょうか。それは、ある意味で簡単です。腐敗しているのは、トップ層だけのはずですから、マスコミのトップを、暴力にも賄賂にも屈しない、志のある人間に交代させればよいのです。

 マスコミは、既に、立法、行政、司法の三権分立に追加される新しい権力の頂点を形成しています。たとえ私企業ではあっても、国民的な規制を必要とする影響力を持っています。したがって、マスコミに関しては、トップがその企業の全社員の選挙によって選ばれるというようにすることです。そのことを、議員立法として国会で提案し、法律として明文化するのです。そういう国民の利益を考えた立法を行うのが国会の役割です。国会は、単に政党どうしの駆け引きや取り引きや揚げ足取りをする場ではありません。国民の前で、正々堂々と正しい政策を議論する場です。

====追加ここまで。====

 さて、教育は、大きく三つに分けられます。

 第一は、学校教育です。第二は、社会教育です。第三は、家庭教育です。



 学校教育は、教育の最も目につきやすい部分です。したがって、教育予算のほとんどはこの学校教育に投下されています。しかし、今、学校教育は大きな曲がり角に来ています。その理由のひとつは、これまでの教育の前提であった工業化社会が過去のものになるにつれて、欧米から輸入された一斉教育の限界が明らかになってきたためです。もうひとつの理由は、受験教育が、中国のかつての科挙のような末期症状を示すようになってきたためです。



 社会教育は、目立たないところで重要な役割を果たしています。社会教育とは、別のことばで言えば、教育に対する文化的影響力です。

 子供たちの教育は、その社会が何を価値あるものかと考えているかによって大きく左右されます。ドイツが科学技術の先進国であったのは、ドイツの社会に学問や学者を尊重する文化があったためです。日本にもかつて学問を尊重する文化がありました。しかし、今の日本は、科学技術や学問よりもスポーツや音楽や芸術を高く評価する文化になりつつあります。

 イチロー選手が活躍するのは悪いことではありません。歌と踊りのうまいタレントが人気者になるのも悪いことではありません。しかし、子供たちが自分の将来の理想の人間像をスポーツ選手やタレントに見るという社会は、やがて衰退します。スポーツや音楽や芸術は、あくまでも枝葉であり、幹となるものは、科学や技術や学問です。言い換えれば、社会の理想が、消費する文化ではなく、創造する文化であることによって、社会は発展することができるのです。



 家庭教育は、学校教育や社会教育と重なって存在しています。子供たちの年齢が上がるにつれて、家庭教育の役割は縮小していきます。しかし、子供が誕生してから保育園や幼稚園や小学校に行くまでの期間は、家庭教育の独壇場です。

 小学校時代が、家庭教育40%学校教育60%ぐらいの割合で進むとすると、0歳から3歳までは、家庭教育がほぼ100%の時代です。しかし、問題は、この時期が家庭教育という自覚と方法のないままに過ごされてしまうことです。

 そこで、幼児教育の理論と方法が必要になってくるのです。(つづく)

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