facebookやgoogle+を作文の勉強に生かすという話の続きです。
ソーシャルサービスは、家庭における予習と自習、地域における発表、有志による教材作成などに生かせるという話を書いてきました。
そして、作文の勉強でできることであれば、ほかの勉強ではもっと簡単にできます。なぜなら、英語、数学、理科、社会などの勉強の多くは、知識を整理したり解法を身につけたりすることが中心になる勉強で、読解や作文の勉強ほど教えることが難しくはないからです。
ここまで来ると、教育全体を自分たちの手で作り運営するという話になってきます。
そして、これが江戸時代の寺子屋教育で行われてきたことなのです。
江戸時代は、公教育としての学校制度はありませんでした。庶民は、自分の家業を子供に継ぐために、教育を必要としました。武士階級は、やはり武士階級としての仕事を子供に継ぐために教育を必要としました。
その教育の多くは、読み、書き、算盤、そして倫理や道徳としての四書五経の習得でした。江戸時代の識字率が高かったのは、農工商に従事する庶民でさえ、家業に従事するために文字を読み手紙を書く必要があったからです。
したがって、そこで行われた教育も決して一律のものではありませんでした。一般教養として共通のものはありましたが、それぞれの仕事に特有な知識を読み書きの学習の中で学んでいったのです。
同様のことが、これからの社会でも行われるようになります。保護者は、子供たちに将来本当に役に立つことを学んでほしいと思っています。試験のための一夜漬けの知識を身につけてくれればいいと考えている親はいません。
しかし、今の教育体制の中では、子供にとって本当に必要なことは後回しになっています。子供たちに学ぶ意欲を持たせる方法は、競争を強化することではなく、学ぶ意味がわかるような教育を行っていくことです。
そういう当然のことができなかったのは、これまでの教育が行政のサービス、又は民間のサービスとして行われてきたからです。それは、明治時代から導入された学校制度が、欧米に追いつくための国家目標として取り組まれてきたためです。
もちろん、高度に専門化されたサービスが必要な教育の分野はあります。しかし、小中学校の義務教育では、教育は外部に委託するサービスとしてではなく、自治的な活動として行っていく方がずっと能率よく充実したものになるのです。
同様のことは、教育以外の分野にもあてはまります。治安、環境、防災、介護、福祉など、現在行政のサービスとして行われているもののほとんどは、江戸時代には庶民の自治活動として行われていました。巨大な江戸という都市の治安を守ったのは、警察のような行政機関ではなかったのです。(つづく)
話が、教育から社会の問題へと発展してきました。次回は、いよいよ最終回。
facebookやgoogle+を作文の勉強に生かす話の続きです。
前回までは、予習と自習と発表について書いてきました。
今回は、教材作成に生かすという話です。
感想文を書く際のもとになる文章を読ませる場合、親なら、子供にこういう文章をよんでもらいというというものもあると思います。
教材作成の専門家に任せるよりも、子供の成長を身近に見ている親の方が正しい判断ができるということも多いはずです。
そこで、親や先生やあるいは一般の人が、自分たちで子供向けの長文を作るというのが「オープン長文」という企画です。
教材作成を専門にしている人は、その教材がどのように使われたかを直接見ることはありません。しかし、親や先生であれば、子供がそれをどう消化したかを知ることができます。特に、感想文の課題の長文であれば、どのように理解して、どのような文章を書いたかということがわかります。それを、教材の改良にすぐに生かせるのが、自分たちで教材を作ることの利点です。
著名な人の書いた文章であれば、著作権の問題もあり、教材として気軽に使うことができませんが、自分たちで作った文章であれば、互いの了解のもとにすぐに改良をしていくことができます。
これは、国語の文章に限らず、他の教科にもあてはまります。
例えば、数学の問題です。今の学校や塾の勉強は、点数の差のつきやすい問題、つまりうっかり間違えやすい問題を中心に評価が行われがちです。みんなが百パーセントできるようになることを目的とした勉強ではなく、点数で差をつけることを目的とした勉強になっている面があります。
このことが、算数や数学を苦手と感じる子を増やしています。よくできる子に知的な刺激を与えるために難問を出すのはいいのですが、教える仕事だけを専門にしていると、難問を出して差をつけることがひとつの目標のようになってしまうことがあるのです。
しかし、親は違います。自分の子供が実力をつけることが目的ですから、教材の適不適が教材作成の専門家よりもはっきりとわかります。もし、親が教材作成に参加したり、注文をつけたりすることができるようになれば、子供たちの勉強の結果をすぐに次の教材作りに生かすことができます。
このようなことができるのが、やはりfacebookやgoogle+を利用したコミュニケーションの力です。例えば、
「この間の問題、どうだった」「うちには、ちょっと難しかった」「じゃあ、どこを改善しようか」「こっちはちょっと易しすぎたようだから、発展問題があるといいかなあ」「それも、作ろう」
と、このようなやりとりができるようになります。
このような形で、親が直接教材作成に意見を反映させられるようになれば、現在の中央集権型の時代後れになりがちな教育は、もっと子供たちの現実に結びついたものに変わっていくはずです。
全国の小中学校には、もうかなり以前から1クラス分の生徒が全員使えるだけのパソコンが整備されていますが、取り組みの遅れている学校がかなりあります。
また、本当は、中学校の技術家庭で、コンピュータ・プログラミングを教えることができれば、日本人のIT技術はもっと広がっているはずです。
こういうことも、子供の成長を身近に見ている親が教材作成に参加するようになれば、大きく改善されると思います。(つづく)